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help リーダーに追加 RSS 忘れられないサッカーの思い出

<<   作成日時 : 2007/12/23 22:54   >>

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僕の姉はある意味スーパースターだった。

彼女は小学生の頃から、走れば長距離も短距離も、最高学年に達する前にすでに校内No.1の速さだったし、陸上部に在籍している訳でもないのに、走り幅跳びをすれば、まともな鍛錬も積まずに難なく地区予選を突破し県大会まで勝ち進んでいた。また、どこから受け継いだのか(?)容姿にも恵まれ、周りの男の子達からもたいそうモテていた。とにかく何をやってもとても目立つ存在だったし、僕の両親もそんな姉がいつも自慢の種であった。

一方、紛れも無くその同じ遺伝子を分かち合った僕は…というと、走っても跳んでもサッカーをやっても、彼女のような華々しい存在にはついに成れずじまいで、そのDNAに期待して借り出された小・中学校時代の陸上競技会地区予選において、100M&高飛び&ハードル全競技で、辛酸を舐めさせられた思い出したくも無い過去がある…。結局、何一つ一番になれなかった僕の青春時代は、ただひたすら、そんな“コンプレックス”との絶え間なき格闘の時代であったような気がする。

僕は小学3年生の時から地元のサッカー少年団でサッカーを始めたのだが、小学5年生時の地区予選を最後に一度サッカーをやめている。熱心に野球を勧める父と、泣きながらケンカをしてまで始めたサッカーを、なぜやめてしまったのか…実は懐かしい少年団時代の恩師と再会し、その当時の記憶を語ってもらうまで、思い出すことすらできなくなってしまっていた。今、思い返せば、それもこの“コンプレックス”に起因する出来事だったのかも知れない。


『あの時のしんちゃんの顔が忘れられない。ぷーっとホッペタを膨らまして、顔を赤くしてネ。キッと俺を睨みつけて、お父さんの車に乗り込んで行ったね…』

帰省中、田舎の居酒屋でバッタリ十年ぶりに顔を合わせたM先生は、懐かしそうに微笑みながら僕にそう語った。すっかり消し去っていた記憶が、その時、鮮やかに脳裏に蘇った。

学校で一番ではなくとも、それなりに足の速かった僕は、4年時には時々試合に出させてもらえるようになり、5年時にはFWのレギュラーの座を与えられていた。そしてその大会は、憧れの読売ランドに続く県予選での試合だった。到底全国大会にコマを進めるようなチームではなかったが、少なくとも優勝候補の一角と試合をして帰りたいと僕らは思っていた。
ところがその一つ前で、僕らは出来たばかりの新興チームに敗れた。もう一つ勝てば優勝候補の強豪チームと試合ができる…という状況だった。その、敗戦が決まる直前の出来事である。スコアは覚えていないが間もなくロスタイム…という時間帯だった。先生は一度も公式戦に出た事のなかった6年生のO君を、僕に代えて投入したのだ。

僕はそのままベンチには戻らず、試合を見に来ていた父の車に直行した。そして試合終了を待つこともなく、ユニフォームを着たままチームとは別に帰宅した。

長い間、記憶の中から消し去っていたその当時の気持ちを思い起こしてみれば、きっと自分より明らかに力の劣るO君に代えられた事に、僕は腹を立てていたのだと思う。自分の所為で負けてしまったかのような、そのバツの悪さに耐えられなかったのだと思う。そしてとても忙しい中、仕事を休んでまで遠い試合会場まで来てくれた父に、合わす顔がなかったのだと思う…。姉と同じくらいに誇らしい自分…を見せられなかったことに、心の底から、打ちのめされてしまっていたのだと思う…。

その時何も言わなかった父は、今にして思えば、僕のそんな行動を恥じ、そしてそれに対する罰と責任を、子供ながらに身を持ってそこで体験させたかったのかも知れない。父は一言も口を聞かずに車を走らせた。僕を咎める言葉も、そして慰めも、一切口に出さなかった事を今でも覚えている。

『あの時は悪かったね…』

ビールで頬を赤くした先生は、少し気まずそうにそう言った。

そこには、いつも守備をサボり、コンタクトプレーを避けるひ弱な僕を、猛り狂った鬼のような形相でどやしつけていた、あの若々しさはすでになかった。ただ微笑んで、無邪気に過去を懐かしむ、ひとりの老人のように見えた。

『Oを、O君をネ、試合に出してあげたかったんだよな。しんちゃんよりも先にサッカー始めて、一度も試合に出られなかったOを…一回だけ使ってやりたかったんだよな…』

下膨れのO君の顔が鮮やかに蘇って来て、僕は居たたまれない気持ちで先生のコップにビールを注いでいた。先生がそんなふうに考えていた事、そしてその事を未だに覚えていた事、またあの頃散々に怒鳴り散らしていたデキの悪い教え子の僕に、今こうして同じ目線で語り、そして謝罪までしてくれている事…に、僕は本当に居たたまれない思い…を感じていた。その頃の僕のコンプレックスを、全てに姉と比較され、そうされる事で少しずつ歪んでいった僕の弱い心を、近所に住み公私共に見守っていてくれた先生は全て知っていたのだ。だからこそまた、僕に対して、いつもあんなにも厳しかったのだ…と今にして思う。

僕の父は地域の野球チームの監督をしていたが、先生は長らくそのチームの補欠だった。以前父から一度尋ねられた事がある。

『あの先生は、サッカー“は”できるのか?』…と。
僕はこう答えた。
『できない。サイドキックしか教えてもらってない』

先生は朝一番に練習場に来て、一番重いバットを持ってピュンピュンと素振りをしているのだと聞いた。そして代打で一打席立たせてもらえれば良い方で、ほとんどは一度もバットを振る機会さえ与えられず帰って行き、そしてまた次の試合では誰よりも早くグランドに現われ、ピュンピュンと素振りを繰り返すのだと言う。
ボールには当らないが、素振りの“音”だけはたいしたものだ…とよく父は言っていた。そして『良い先生だ…』と、父は言っていた。

連れ合いの飲み友達を放って置いて、楽しそうに昔の少年団の時の思い出話を語る先生に合いの手を打ちながら、当時の父との会話を思い返して、胸が熱くなった。

『うまい酒だなぁ。嬉しいな…』。そう言いながら、結局酔いつぶれるまで語り続けた先生は、帰り際に僕にこう尋ねた。

『しんちゃんは今でもサッカーは好きか?』

『はい、好きです。今でもサッカーが一番好きです』

僕が答えると、先生は顔をくしゃくしゃにして、『俺はそれが一番嬉しい…。一緒にサッカーやってきて良かった』とニッコリと微笑んで手を振ってくれた…。子供のように、無邪気な笑顔だった。


11歳の頃、M先生と最後に別れた日の事を僕は今でも覚えている。少年団に行かなくなって数ヵ月後、チームメイトを通した再三の練習参加への誘いにも応じなかった僕を、先生が自宅に訪ねてくれた時の事を…。

『ユニフォーム返してくれるかな…』

僕はあわてて背番号9のユニフォームを手に取り、階段をドタドタと駆け下りて洗いざらしのそれを先生に手渡した。

『…すみませんでした』
お互いに気まずそうな空気の中で、何について言ったのかは自分でも判然としないが、僕がそう言った途端、先生がニヤリと笑ってくれたことを今でも覚えている。

指導者としての大きな実績も無く、きっと先生はそのキャリアを終えられた事と思うが、今僕がこんなにもサッカーを好きで居られるのは、その先生と出会い、そして交わしあったサッカーの思い出…があったからだと思う。

スーパースターには結局成れず仕舞いだった…。けれどももし叶うならば、僕は彼のようなやさしいニンゲンになりたい。


何事も無かったように、そしてここから何か新しいゲームでも始まるかのように、最後に先生は笑顔でこう言ってくれた…。

『ドカベンの新しいヤツ買い揃えたぞっ。今度ウチに見に来いなっ!』



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