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〜以下は2005年、中国で起きた“反日デモ”の際に書き記した随筆です〜 今から10年以上前になるだろうか、僕はバックパックを背負って中国沿岸部を一月ほど旅をしたことがある。いろんな本を読んだり人から話を聞いたりして、中国の人々についてのある程度の予備知識は踏まえて入国したつもりだったのだが、実際に行ってみると彼らのその素行には大きな衝撃を受けた。 これはあくまで10年前の話なのだが… 彼らは列というものを作らない。並んで順番を待つ…ということをしないのだ。よって待ちかねた何かが開く時には常に押し合いへし合いの修羅場と化す。 百貨店であれ下町の菓子屋であれ、物を買うときには3度に2度はボラれるし、そのつり銭を受取る時には3度に3度投げ返される。 足を踏んでも肩をぶつけても自転車でぶつかってきても決して謝らない。 食堂で人が食べているそのすぐ横で平気で他人の足元に痰を吐いたりタバコを捨てたりする。 真夜中であろうともホテルの部屋で大騒ぎをする。ドアの開閉音など凄まじいものがあった。 ぎゅうぎゅう詰めの電車で連結部の通路に立っていたら、客席から子連れの母親がやってきてやにわに子供のズボンをずり下げ、僕の足元にためらいなく放尿させた。ハっとしてバックパックを抱き上げて間一髪荷物は守ったのだったが、足元は小便びたしで半ズボンをはいていた僕の素足にはその放尿の勢いによるシブキがキラキラと光っていた。けれども周りの中国人は誰も咎めるわけでもない。文句を言う者もおらず、平然としてやりすごしていた。日常茶飯事…ということなのだろうとその時の僕は理解した。 最初のうちは苛立つ事ばかりでいちいち腹を立てていたものの、このままでは精神的に持たないと、思考を180度転換させて、どうせ見るべきものもあまりないしこの際中国人の生態をじっくり観察して帰ろう…と思うようになった。そしてその瞬間から、彼らのそういう不躾な行動や習性をおもしろおかしく眺める事ができるようになった。 要するに彼らには、自己という1Dの世界しか存在しないように見えるのだ。 主観はあるが客観がない。…というか客観という視点の存在についてすら“未知”なのではないだろうか…?と思わされることすらままある。(中国人に限らず日本人にもこの手の人間は増量中である) こう言うと僕が中国人のことをキライだと誤解してしまう人が居るかもしれないが、そうだ…やっぱり基本的にキライなのだ!!!が、全部が全部キライかというとそんな事はなくて、とても親切にしてくれた中国人も、理知的で情が深く、立派な品格を備えた中国人もたくさん居ることも知っている。どの国に行ってみてもやはりそれは同じことなのだと思う。 日本人にひとつだけ知っていて欲しいことがある。 それは、中国国内にいる彼らは必然的に“蒙昧”である…ということだ。 この時代、未だに陳腐で歪な政治体制の中で恣意的に情報が統制され、また如何様にも真実が改ざんされうる“おとぎの国”に彼らは住んでいるのだ。(ある意味この日本も重なる部分が多いのだが…) 彼らが昔の日本軍が行った行為そのものと現代に生きる日本人を混同するように、僕たちは映像に写る中国人の暴徒とその他の十数億の中国人を混同してはいけない。 もしかしたら今それは限りなく似通って見えるかもしれないし、実際同じようなものなのかも分からないが、それをしない理性こそがこの袋小路から抜け出しうる、唯一つの“狭き門”なのではないだろうか? 今、彼らを憎まない努力をしよう。 彼らはただ、天に唾する間抜けな為政者たちの呪いの呪文に踊らされているだけなのだ。 〜以上が2005年、中国で起きた“反日デモ”の際に書き記した随筆です〜 僕はこの旅行の際、中国東北部の或る都市において、数十人の日本語を学ぶ方達の面前でスピーチをさせられた事がある。 その中で“南京大虐殺”について触れたとき、『8万人の犠牲者』と口にした僕に対して、それまで非常に柔和な面持ちで一つ一つ頷きながら楽しそうに話を聞いてくれていた彼らは、一斉に身を乗り出して『南京で殺された中国人は30万人である!』と抗議してきた。そこに僕は、今こうして笑顔で向かい合っている彼らとの、簡単には払拭できない“歴史”という大きな隔たりをまざまざと突きつけられ、かなり動揺してしまったのを覚えている。 『日本の教科書には8万人と書いてある。中国のそれが異なるのも僕は知っています。現実には8万人ではないのかも知れない…と同時に30万人という数字も間違っているのかも知れない。見てきた訳ではない僕は、そのどちらも信じない。ただし8万人と言ってしまった事に対して、あなた方が気分を害したとしたらそれについては謝ります。そして何万人であろうと、何十万人であろうと、僕らの祖先があなた方にした事について心から申し訳なく思っている。それについて心苦しく思っている。そしてその加害を知る事、忘れない事…が僕らの務めであると思っている』 僕はそう話した。それからの数日間、彼らには本当にお世話になった。たくさんご馳走もしてもらったし、たくさんの会話も交わした。驚いた事に、彼らはその数年前に起きた“天安門事件”の事実さえ知らなかった。そして僕のその話を誰も信じなかった。その直後から僕の行動を監視するかのように付き纏う者が出てきた。帰国後に日本から送ったお礼の品物も、ついに彼らの元へ届くことはなかった。それらの出来事が偶然だったのか、或いは意図されたものなのかは今もって僕には分からない。 この反日デモやサッカーに限らず、昨今もいろいろな場で突きつけられる中国の側からの“敵意や悪意”といったものを僕らが非難するとき、僕は一方で僕達の国が過去に犯した“加害”についてもよく理解し忘れないでいてもらいたい…と強く思う。 それによってどこまでも謙る必要などまったく無い…が、それを理解せず、それを理性によって共有しようとも試みずに、ただ彼らを嘲り憎悪しようとする愚かな感性は、一部の中国人の醜悪なそれと何ら変わりは無い。 “理解”への努力を放棄してしまう事によって、ニンゲンは如何様にも非情に、そして残忍にもなれるものである。中国に限らず、僕らは多くの隣人との日々の暮らしの中で、常にその事を忘れてはならないのだと思う。 【人気ブログランキングに登録しました…応援のクリック心から感謝致します】 ⇒⇒人気blogランキングへ |
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こんにちは。中国に関しては、多くの人が誤解していますが、その経済力などの真の実力を認識すべきだと思います。中国の国民一人当たりのGDPは、どの程度かご存知でしょうか?中国は、今後20年間現在の経済成長率が続いたと仮定して、20年後にやっと日本の1/10になるに過ぎません。昔から衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが、中国にはこれが良く当てはまります。特に最近では富裕層が輩出するようになりましたが、この貧弱な経済では富裕層がでることにより、下の層はますます貧困になっているというのが実体だと思います。このような貧困状況では、一般庶民は礼節を守るという余裕もないというのが実体だと思います。 |
yutakarlson 2008/02/25 10:50 |
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