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僕には子供のころの写真が半分しかない。 父と別れた母が、その半分を持っていってしまったからだ。 あまり可愛くない子供だ…と、裏に表に言われていた。しかし、そんな僕でも、母は会うたびに嫌がるわが子を力づくで捕らえては、頬ずりをし、ブッチューっとキスをするのだった。彼女は人目など気にしない。街の路上で、デパートの子供服売り場で、山車をひく祭りの最中に、腹をこわして向かった病院の待合室で、ところ構わずしたいと思う時にそうするのだ。僕はそんな母のキスが、嫌で嫌でたまらなかった。 どこへ行くにも、母は母なりにわが子を着飾って、まだ小学校にあがる前の僕を連れて出かけようとした。 週末に遠い街へ通う社交ダンスのレッスン。カラオケ大会のような催し。女同士の井戸端会議のようなもの。夜のバーやクラブのような場所での知らない男の人たちとの密会。夜の外出が徐々に頻繁になって、派手な衣装を身につけるようになって、そして毎夜のように泥酔を重ねるようになって、父と母は修復不能な関係になった。 僕はそれを横で見ていた。 顔を背ける事もできずに、ずっとそれを見ていた。 誰にも一言も口を開かずに、実の母親の少しずつ淫蕩にそまってゆく様を見ていた。 男の手が母に触れて、それを抱き寄せて、キスをしようとする。いつも僕はそこまでは見て見ぬふりをしている。しかし、それがそのままでは終わらなくなって、払いのけようとする母を力づくで押し倒そうとするその時に、僕は泣き叫んだ。『ギャー!』と絶叫した。そうしていつも一緒に帰宅するのだった。 あの感情が、恐怖なのか、怒りなのか、憎しみなのか、カナシミの類なのか…未だに僕には判らない。が、重苦しい闇が今も心の奥底に住み着いてしまっている気がするのだ。誰にも打ち明けられずに、胸にこびりついたシミのように、今も鬱々と時に僕を苛むのだ。 ある時を境に、母はそんな夜遊びをやめ、ある一人の男の人の仕事場へ入り浸るようになった。 そこには大きな鶏舎の横に、小さな事務所と、その隣に住居のようなものがあって、僕はその事務所でダンボールの箱に入れられた数羽の黄色いヒヨコを前に、2時間も3時間も一人捨て置かれた。 僕は足の折れたインコが死ぬ様を見た事があるので、ヒヨコたちには触れずに、ただスヤスヤと寝息を立てるそれをじっと眺めていた。そこで気の遠くなるような孤独を噛み締めていた。 そしてそれが何度か続き、何度目かの時に僕は堪えきれなくなって、母と男の人が身を隠した住居の戸の前へ立って、『帰ろうよっ!』と母を呼んだ。 『家に帰るっ!いやだっ!』 と泣き叫んだ。そしてそれっきり母の外出へ付き添う事はしなくなった。 あの時僕は、母をあきらめたのだと思う。 心というものが何ものか安らげる居場所に定住しうるものではなく、それはあてどなく孤独に、たえず宙をさまよい、光ない闇の中を浮遊し続けなければならないものであることを直感的に悟ったのかも知れない。やわらかい殻を僕はくぐり抜けねばならなかった。そしてまた否応なく、一個の存在である…という硬質の殻をも同時にかぶらねばならなかった。言葉ではなく心で、その時僕は理解したのかも知れない。 父と母が離婚したとき、僕はほっとしたのを覚えている。 7つか8つの時のことである。姉と一緒に『良かったね』と言葉を交し合った。 いがみ合う二人の姿は金輪際見たくなかったのだ。それっきり永遠に、罵りあう二人など目にしたくはなかったのだ。 幼少の頃の僕は、悲しくもあり、また幸せでもあった。 食うに困る事など一度もなかったし、隣家に住む祖母はいつでも優しかった。大好きな犬たちが絶えず側に居てくれたし、サッカーはいつだって楽しかった。 僕には子供のころの写真が半分だけ残っている。 そんな、今はもう古ぼけたセピア色の写真をめくりながら、僕は母との、半分の幸福な記憶だけを今もなぞろうとしている。なぞろうと、もがいている。 The Beatles - Blackbird 【人気ブログランキング…応援のクリック、いつも心から感謝致しております】 ⇒⇒人気blogランキングへ |
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