キリタニ100法

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<<   作成日時 : 2008/11/07 00:51   >>

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食品偽装、耐震構造偽装、またまた身近なところでもメール偽装や女性の年齢偽装(…これは詐称か?)など、疑わしい事が山ほどあるこんな世の中、言いたい事も言えないこんな世の中で、A氏ほど赤裸々なほどに胡散臭い生え際を持つポイズン…ではなく人物を、俺は知らない。

或る者たちは彼をパンチョと呼んだ。
しかし、平素仕事で顔を合わせる俺たちではそうはいかない。それでは余りにもあんまりの話しだからである。そんなこんなで俺と同僚のYは、いつからかそんなA氏を『しゃいん』と名づけていた。そう、人の耳には『社員』で良いのだ。俺たち2人だけの『shine』でありさえすれば…。

A氏は大切なクライアントのお偉方である。決して粗相があってはならないのだ。けれども子供のころから笑い上戸な俺を、幼稚園のガキほども笑い上戸な俺を、小賢しいYはいつもそのアイコンタクトで、笑いの津波に陥れようと虎視眈々狙っている。
大体仕事でA氏に会う時には俺は本気でYに釘を指す…。

『おまえは俺の視界に入んじゃねえっ』…と。

そんな時Yは、

『うん。分かった』

と言いながら、ニヤリと下卑た微笑を見せる。

…ダメだ。絶対。
絶対に笑ってしまう。今日こそは、生きて帰られへんかも分からん…。そしたら俺…クビになるわ…。そんな途方もない恐怖と重圧に苛まれながら、これまで俺はA氏とのプレゼンに臨んで来たのだ。湿気の多い雨の日もあった。頼むから止んでくれよという風の日も、妙な場所から汗の噴出す夏の日もあった。そして静電気飛び散る木枯らしの冬も、俺らは一糸乱れぬネバーチェンジのその頭髪を眺めてきたのだ。

何度も死に掛けた事があった。

A氏の耳に押し付けた受話器が、それを押し退けそうになったとき…。初対面のM子が卑劣なYのアイコンタクトに崩折れそうになって咳き込んだとき…。『あ゛〜もう3日寝てねえんだよなぁ』と言ってA氏がその首をクルックルッ回しにかかったとき…。そして一緒に同行させられた小雨降る日の青山ブックセンターで、『いやぁ、最近こっち(ゴルフ)が全然でさぁ』と小走りに駆けながら、開ききる前の自動ドアに顔面を強か打ちつけ、もんどりうって倒れたその頭が少しガバついていた瞬間…。俺は顔面蒼白で、いっそこのまま死んでしまおうか…と思ったことが何度もあったのだ。

Yと二人並んで互いに目を瞑り、小刻みに肩を震わせた夜もあった…。腕に紫の跡が残るほどツネったことも無数。すんでのところで、咳き込んだように見せて誤魔化したこと、少なくとも4度。それでも俺がどうにかここまで踏みとどまってこれたのは、ギリギリの命を繋いでこれたのは、俺にとってはこれこそがまさに、キャリア上

“絶対に負けられない戦い”

そのものであったからだ。

そしてそんなある日、ついに“その時”はやってきたのである。

新入社員のS美をたいそう気に入られた様子のA氏。さっそくYに申し伝え、内輪のS美担当入り歓迎カラオケ大会開催の運びとなったのである。

悪い予感はしていたのだ…。S美をのぞく俺とY、そしてM子で前夜語り合ったものである。

S美の『shine』耐性が計り知れない今、これを年端のいかぬS美に伝えるのはあまりに無謀、リスクがデカすぎるのではないか…。いやいや、逆に何かあった時に取り乱されたらそれこそ“事”であろう…。いや、あの子は年の割りに落ち着いている…むしろ危ないのはこのオッサン(キリタニ)である…。席順はこう、こう、こうで、このオッサン(キリタニ)がモニター最前の位置でA氏に背を向けたフォーメーションを構成しよう…もうこうなったらこの際S美の対ヅ○耐性にすべてを賭け、マンツーマンで対応してもらおうではないか…などと、深夜までいい大人が、迫り来る巨大な恐怖に脅えながら、大真面目で喧々諤々の熱い議論を交わしている…ふと我にかえってそれぞれ顔を見合わせると、それ自体がすでに全然ダメなのだ…。どう考えても可笑しい…可笑しすぎたのである…。

そして当日。

お気に入りのS美を隣にはべらせA氏ご機嫌モードである。なるべくモニターの方を見ながら、聞こえないフリをしていたのだが、時折繰り出されるA氏のウンチクがボディブローのように腹に効いてくる。

『オレさぁ、最近はこっちも聞くんだよねー、ヒップポップ』
『ジャズはいいよぉ〜。聞かなきゃあ、聞こうよ。音楽好きなら聞こうぜ、ジャズ』
『この映画(アルマゲドン)いいよぉー。ブルース・ウイルス…』

背中越しにYとM子が咳き込んでいるのが伝わってくる…。M子、今更だけど…この席順、間違いだったんじゃねーかな…俺が一番、不利じゃん。

A氏の十八番、米米クラブ“浪漫飛行”。ジャガジャガジャガジャガ…というイントロの電子音が初っ端から鼓膜に押し寄せてきたとき…もう俺の頬には熱い涙がとめどなくあふれ出していた。胃が痙攣を起こし、ボワンとした耳鳴りがしていた。ウォウウォウウォーウォーウォーのコーラスまでリズミカルにちりばめられたときには、徹夜明けだった俺は、もうKO寸前のグロッキー状態で虚空を見上げ、ただ忍の一字で“浪漫飛行”の嵐が過ぎ去るのを待ち詫びていたのだ。

なにしろ、若者の音楽文化に造詣の深いA氏なのである…。

Yがくるりを歌う。

『ああ、くるりなぁ。売れてんだよなぁ…』と、なんともゆるやかな懐深いウンチクを繰り出す。

M子はチャットモンチーを歌う。

『うん。これ、あれだよな。チャットモンキー…』

もうダメだ…。この人見たまま言ってる…。

俺はYとM子に目で“ギブ(アップ)”のサインを送る。しかし、奴らは許してはくれない…。みんなの瞳孔が異様に開いている…。眼が血走っている…。辛かったんだなぁ…おまえらも。

みんな一つになって苦渋の時間を耐え忍んでいたのだ…。S美の肩も小刻みに震えている。半泣きのような顔になってこっちを睨んでいる…。負けるな、みんな。頑張ろうよ、みんな。

そして俺の番である。なるべくA氏のウンチクに絡まれたくない俺が、radiohead(レディオヘッド)のcreepで逃げ切りを図ろうとしたその時である…。俺はおもむろに立ち上がり、少しハジケて笑いをとろうと思ったのだ。むろん皆の溜まりに溜まった笑いのガス抜きを図ろうとして…。

聞きなれないイントロに少し押し黙り、キョトンと遠くを見る顔のA氏。

助かったぁ…とばかりに、俺が一気にウーロン茶を口に含んで歌い出しに備えたその瞬間である…。

『ああ、あれか…ラジオヘッド』


見たことも無い巨大な爆笑の津波が、腹の底から突き上げてくるのだった。

Yの眼が宙を泳ぎながらあえいでいた…。M子はもはや眉間に手を当てて泣き出していた…。そしてS美は、不憫にも頬を痙攣させながら、血が滲むほどその唇を噛み締めていたのだ…。S美、本当に悪かったな。まだ二十歳のお前に、きっとこれは拷問だっただろう…。でもなS美、仕事っていいもんだぞ。仲間っていいものなんだぞ。そして人生って、そんなに悪いものじゃない…。今日だけが特別なんだ。…けどやはりお前には一言言っておくべきだったんだ…全て裏目に出たこの作戦を許してくれ。…悪いのはYとM子だ。

テーブルの上には水菜のサラダ。野菜たっぷりの生春巻きに、パスタ、味噌おにぎりと炭水化物ばかりがヅラり…ではなく、ズラリと並んでいる。すべて、ヘルシー志向でなるA氏お気に入りメニューである…。

ウーロン茶はスローモーションのように僕のクチビルからコガネ色の色彩を放ってフンシュツした。鼻からも噴き出した。
Yも、M子も、S美も、そしてテーブルの上の炭水化物も、A氏も…みんな一緒にビショ濡れなのである…。俺は顔を抑え、気管に潜り込んだ茶にむせ返りながら、崩れ落ちるように部屋を飛び出していた…。

俺の背後で、声を失ったカラオケがcreepの伴奏を奏でていた。

俺はしばらく便所に引きこもり、恐ろしくて恐ろしくて、もう足が竦んでどうしても部屋へ戻る勇気なく、Yにメールした。

『キリタニ危篤、ぜんそくで倒れる…。直帰します。後はよろしく。ごめんな、俺…自分に勝てなかった』


その後残された我が後輩たちは、涙ながらに〆のジャンバラヤまでみっちり2時間付きあわされ、最後には手拍子の要求までされたのらしい…。すんでのところで死ぬところだった俺は…ほんとうに死ぬかと思った俺は、あくる日社長に懇願し、担当を代えさせてもらったことは言うまでもない…。

Radiohead - Creep


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