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8月31日の終戦

2008/09/01 01:19
8月31日、ガムテープで顔面をぐるぐるにしたかった彼の、終戦の日である。

この答えが聞けなかった。
たった一言、死にたいの言葉が聞けなかった。聞く事さえ許されなかった。
けれども、それがみんなの救いだったのかも知れない。
その行き場の無い魂からの、或るやさしさであり、救済だったのかも知れない。

5年目の冬は来なかった。
たったひとつの荘厳なる答え、毎分86の宇宙が0になった。

ただ、音が絶えてしまった。

そうして終わり、そうして始まったのだ。
またガキが泣き、またガキが嗤うように…。


生きてることが辛い人たちに、残念ながら僕にはかける言葉はない。
励まし勇気を与え得る言葉もないし、きっとその意志すらない。
けれども希望ならばひとつだけある。

どうして死にたいのか?

それだけ伝えて欲しい。それだけは教えて欲しい。
すべてを受け入れる覚悟はあるから、受け入れる準備をさせて欲しい。
そして、最後に抱きしめさせて欲しい。

『お疲れさん』と、そう言わせて欲しい。
そしてたった一度だけ『やめてもいいんだよ』って、笑顔でおどけさせて欲しい。


tatetakako-houseki


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ぐるぐる

2007/12/18 08:55
僕の知っている男がいる。

もう長い間眠ったままの彼は、口を開くことも、くしゃみをすることも、まばたきすることも、くるりを口ずさむことも、空メールを送ることも、深夜バスに乗ることも、一発レッドをもらうことも、開始5分で足がつることも、池ふくろうで待ち合わせすることも、そして大好きな嫁に『ありがとう』を伝えることもないが、毎分86の強い鼓動で、今も夢の世界を泳いでいる。

僕が不眠不休の軽薄な12月をのたうちまわっているその横で、

脳出血も、京都議定書も、アフィリエイトも、表参道ヒルズも、援助交際も、イージス艦も、公定歩合も、UEFAカップも、誰でも割りも、ポアンカレ予想も、パロマ・ピカソ36回払いも、何もない世界で、彼は生き続けている。


この12月に、胸がつまっていっぱいになったから、電波の悪い場所に居る彼に、彼の知らないこの曲が届けば良い…と思う。

この12月に、彼のような愛しい人…を見守り続ける数千、数万のやさしい人たちの心に、みんなの知らないこの曲が、届けば良い…と思う。


ぐるぐる/野狐禅



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象のように死にたい…

2007/10/02 16:16
『肺に水がたまっているように見えますね…』

唐突にそう言われ言葉を失ってしまった。
『この右の肺の下の部分が丸くなっているでしょう。白くモヤがかかっているようにも見えますし、これは少し水が溜まっているように見えますねぇ…』
医学の知識など持たないが、“肺に水がたまる”という状況が人間の体にとってどのような事態であるのかは理解できる。

『他の数値や結果が出てから精密検査しましょう』

医師の判断はこの人間ドックによる検査結果が全て出揃ってから次の精密検査に移りましょう…というのものであった。こちらも精密検査や入院ということになれば、仕事や生活面においていろいろと準備を整えなければならないこともあるので、その日は処方された抗コレステロール剤の薬を一か月分受け取り、その場を後にした。


その日の夜から、僕は“肺に水がたまる”という状況をネットでいろいろと調べてみた。そうしてその状況が、予想通り決定的に“おもわしくない”状況であることをまざまざと思い知らされた…。

結核ならば逃げ道はある…が調べれば調べるほど、その症状から僕が結核では無いことは明白だった。では同じく問題のある数値が示されていた肝臓から“肺に水”の状況を探ってみると、それは内臓に広く転移してしまったガンか、或いはすでに著しく症状の進んでしまった肝硬変の2つの可能性に行き着いてしまう。

どちらにせよ逃げ道は見つからないのだった。



子供のころ、僕は動物図鑑が大好きだった。

陸上で一番速いのがチーターで110km。二番目がブロングホーン。三番目がガゼルで時速約80km。はじめて100m10秒を切った人間ジム・ハインズは時速36km。約40kmで走るアフリカ象よりも遅いのである。
そして一番長寿なのがゾウガメで170才。次が象で100才。約80才の人間はここでも象に勝てないのだ。

その象は、自身の死期が近づくと、群れから一頭離れ死に場所を探すという。たいていの場合は定まった洞窟のような場所に身を潜めて、そこで自らの息が絶えるのをじっと待つのだという…。


もし自分自身が末期のガンであるとするならば、“死”そのものを受け入れることはさほど難しいことではないような気が僕にはした。
しかし、肺に水がたまり溺死のような苦しみに苛まれながら死んでゆくとするならば、それに立ち向かうだけの勇気や気力は持ち合わせていない。
そこで自分自身がこれまで培ってきたもの、家族との間に築いてきた関係が、病苦や闘病への恐怖や苛立ちの為に“破壊”されてゆくこと、この最後の1シーンの為にそれまでの楽しかった思い出すべてが無意味なものに打ち消されてしまうことだけはどうしても避けたい…と考えた。

だから、もしこれが医学的に逃げ場の無い最終状況であることが確認され、本格的な病苦の訪れがまもなくに迫っているのだとすれば、僕は家族にこれまでの感謝と別れを告げて、ずっと行ってみたいと思っていたインドかネパールの奥地に一人旅立ち、オーバードースか何かでひとおもいに死んでしまいたいと思った。

そしてこれまでもずっと考えてきたように、死んだら鳥の餌になりたい。

これまで僕がさまざまな動物の命を奪って生きてきたように、僕も僕の命を“これから”を生きて行く動物たちの為に少しでも役立てたい。
その為にも鳥葬の風習が未だ残るインドやネパール、或いはチベットにまで流れて、そこで最後を迎えたいと考えた。


僕は単純な人間なのでそこまで覚悟を決めると、気持ちも幾分落ち着き少し楽になった。“肺に水がたまっているようだ”と言われてからの数日間は食欲も無く、眠ることもできず、何もする気が起きずに、ただただネットで自身の病状を推察し、人との接触を避けてきたが、自分の中でそう方針が定まってしまうと、途端にお腹がすき、睡魔に襲われ、そうしてできるだけ“生きる”為の努力をしてみよう…という気になってきたのだった。


そしてそう思い立った翌日の朝、呼吸器内科の専門医がいる総合病院で検査を受けた。すると…

『子供の頃肺炎か何かで起こした小さな癒着は認められますが、水はありませんよ。大丈夫ですよ』…と言われた。



わりあいに繊細だった青春時代、“死にたい”と思ったことは何度かあったが、実際に“死のう”と思ったことなど一度もなかった。要するに実際に自分自身の“死”を意識させられたのは今回が初めてのことだった。
狼狽もしたし、少しばかりの憤りを感じながらも、いずれ来るその時…に対して、心の準備をするよい機会が与えられたのかもしれない…とでも考えることにしようと今は思っている。



人間による自然破壊、旱魃や森林の伐採を起因とする食物不足によって、真っ先に死んでゆくのがアフリカのサバンナにおいては象であるという。

その象は一日に150kgもの植物を食べるが、実際に消化するのは非効率にもその半分程度で、そのお腹に消化されずに残された植物はやがて排出され小動物や昆虫の為の餌となり、またその中の木々や草花の種は、象の足によって100km、200km離れた大地のどこかで芽吹き、新たな命を育んでゆくのだという。

そして100年の時を生き切ることなく、その寿命の道半ばにして唐突に命を失ってしまった仲間に対して、彼らはその象牙だけを取り外して遠くの森にそれを隠し、人間と同じように何度もその場所を訪れるのだという…。


人は象のように奥ゆかしく生き、また象のように荘厳に死を受け入れられるだろうか…?

あと何年生きられるか判らないが、象のように奥ゆかしく生きてこれなかった僕は、いまわの際だけでも、せめて象のように荘厳で…心穏やかでありたいと思っている。



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