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キリタニ100法

プロフィール

ブログ名
キリタニ100法
ブログ紹介
新しいニッポンの為の、唯我独尊100の立法。

日々の雑感や時事に対する感想を織り交ぜながら、基本100法からなるニッポンの独自の理想像を提言します。

“死刑廃止献体法”“核武装論”“二院制廃止法”“年金一元化法”“是非二票選挙法”“行財政改革法”“分離選挙管理法”“財政規律法”“改正国家公務員厳罰法”“犯罪者保護責任法”“教育費無料化法”などなど、憲法改正から刑法・民法の厳罰化、そして社会福祉政策にいたるまでの、“キリタニ100法”の創案を目指します。
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キリタニ映画ランキング TOP10

2008/05/07 15:58
先日『ボラット』の映画評(★★★)を書いたところ、『鑑賞したがつまらなかった…』と言うお叱りをいただきました^^;
これはひとえに僕自身の趣味・趣向を表明せぬままに映画批評など行ってしまった為に生じた“不幸”なのでは…と思い至り、ここで自らのフェイバリット・フィルムTOP10を明記させていただきたく思います。

ご覧いただければ判ると思いますが、そもそもが非常に偏向した嗜好を有しておりますので、これらの作品がお好みでない方々は、当キリタニの★評価に騙されぬようよくよくご注意ください。またもしトラックバックやコメント欄にて、オススメの映画やそれぞれのベスト…などお付き合いいただければ、ぜひ今後のDVDレンタルの参考にさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします^^

キリタニ映画ランキング TOP10


アンダーグラウント予告(海外編)

1位 アンダーグラウンド     監督エミール・クストリッツァ 
2位 炎628            監督エレム・クリモフ     
3位 デカローグ          監督クシシュトフ・キェシロフスキ
4位 アリゾナ・ドリーム      監督エミール・クストリッツァ 
5位 スモーク           監督ウェイン・ワン       
6位 パルプ・フィクション     監督クエンティン・タランティーノ
7位 CUBE            監督ヴィンチェンゾ・ナタリ  
8位 マイライフ・アズ・ア・ドッグ 監督ラッセ・ハルストレム  
9位 ビッグ・リボウスキ     監督ジョエル・コーエン    
10位 バーディー         監督アラン・パーカー     
次点 バッファロー’66      監督ヴィンセント・ギャロ   


ひとつひとつの映画について語りだせばキリがないので、それぞれの映画に興味のある方はぜひタイトルをクリックして、ヤフー等で他の方のレビューを見たり、ユーチューブにて予告編などをご覧になってみてください。基本的にエンターテイメント的…ハリウッド的…な映画をお好みになる方には、上記のそれらはまるでオススメできない作品群であり、選出かも知れません。
これらの作品が★★★★★で、スターウォーズやアルマゲドン、もののけ姫や男たちの大和が★…と言い切ってしまえばより判りやすいでしょうか…^^;

次回はグッバイ・レーニンの映画評を近日中にアップ予定です。
『ボラッド』でご迷惑をおかけした皆様…本当に申し訳ございませんでした;;

オススメBGM…fromアリゾナドリーム/In The Death Car by Iggy Pop


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道路と老人医療と小泉純一郎

2008/05/01 10:13
『必要な道路は作ればいい…』

『後期高齢者医療制度は年寄りをバカにしているっ!』

『福田じゃダメだ…小泉さんの再登板を期待したい』


ひとつひとつを聞けば、それぞれもっともらしく聞こえるそんな意見も、3つまとめて一人の人間が語れば、それは支離滅裂な3つの妄言となる。

どこぞの県知事は、逼迫する県財政を抱えながら『土建化せんとならんっ』と県民の喝采を浴びながら“道路特定財源維持”の為に奔走する。

道路公団改革において、威勢の良い“改革派”の旗手を演じて見せたルポルタージュ作家は、オリンピック誘致ハコモノ利権へ邁進する都政の主席にちゃっかりと収まり、次期都知事のイスを着々と付け狙っている。

そして“あの時”財政再建の名の下に『30兆円以上の新規国債は発行しない』と啖呵を切り、その舌の根も乾かぬうちに、「(守れなくっても)大したことじゃない…」と笑顔で語ってみせた小泉純一郎を、87%を越える支持率でこの国は熱烈に支持した。純ちゃん、純ちゃんと諸手を挙げてその“劇場”に酔いしれたのは、今、後期高齢者医療制度に憤り、『年寄りに死ねというのかっ!』と目を血走らせているお年寄り達ではなかったのか?(ちなみに後期高齢者医療制度の導入を決めたのは小泉純一郎である)

これ以上ムダな道路は作らないっ…改革実行!を叫んだ小泉純一郎が、暫定税率復活法案に今ちゃっかりと“賛成票”を投じる。TVでよく見る“自民党若手改革派…”と呼ばれるなじみの議員たちも同様である。そしてさらに、数日後には、今後10年間無条件に60兆円もの国民財産を、さらに膨大な借金を積み増しながらでも作り続ける…という法案に、たった数年前の出来事などまるでなかったかのように“賛同”しようとしているのだ。

それが現在の自民党なのだ…と僕は思う。
小泉さんの前から、僕はずっーと思ってきた。

でなければ、国・地方の借金がすでに800兆円を越えて、さらに毎年30兆円ずつそれを積み増しながら、道路だ、ダムだ、新幹線だ…などと呑気に言っていられる筈などない。年収500万円の家庭が、毎年800万円の支出を繰り返して、すでに8000万円もの借金を抱えている。そしてなお、酒や風俗に狂うがごとく、道路だ、ダムだ、新幹線だ…と自制無く浪費にかまけている…。一方では病に苦しむ老人を放置し、その老人たちの“年金”をかすめ取る官僚や族議員たちと裏で手を結びながら…である。

そしてそれを後押しし、未だ好き放題に権勢を振るわせているのが、僕達が“あの時”小泉純一郎に捧げた80%を超える支持であり、2/3を越える衆議院自民党・公明党議員の数なのだ。

一つだけ言っておきたい。

後期高齢者医療制度と道路は繋がっている。

道路を作ってきたが為に、或いは今後も作ってゆくが為に、財政はさらに逼迫し、福祉予算はカットされる運命にあるのだ。そして後期高齢者医療制度と道路特定財源は、僕達有権者の選択なのである。繋いだのは小泉純一郎である。僕たちは、小泉純一郎を介して、今のこの自民党の道路・医療政策を力強くバックアップしてきた。今になってそれを悔やんでみても仕方がないことなのだ。全て私達自身の選択による結果…なのだから。

『小泉純一郎、自民党は無責任だっ!』
と今になって泣き言を言う僕らこそ、未来のこの国や子供達にとって、有権者として無責任極まりない選択を繰り返してきたのだ。

そしてこれだけは覚えていて欲しい。道路を全て止めたからと言って、もはや財政が“黒字”になる訳ではない。これまでの莫大な借金の“利子”を返していかなければならない。今すぐ道路やダムや新幹線を0ベースで止めたところで、消費税を10%にした位では借金を返すどころか、財政は黒字にすらならない。そしてそればかりか、僕らが政府や官僚の意図によって未だ知らされる事のない“特別会計”というブラックホールが、大きな口を開けたまま、際限なくこの国の富を丸呑みにし続けているのだ。

この状態を、あと数年も続ければ財政は“破綻”する。
その時になって、やっと僕らも気づくのだろう。

¥は紙くずになり、年金も保険も紙くずと化した銀行預金でさえも踏み倒される。そして食料自給率40%にも満たないこの国は飢餓に苦しみ、社会は瞬く間に無法化する…。そのリスクは深いところで着実に進行している。そして残念ながら僕自身は、もはや不可避であろう…と思っている。

汚い仕事は福田政権下でやり切っておいて、自公はいずれ“新たな顔”で解散総選挙に打って出るだろう。或いは来年の任期満了まで粘りきるのかも知れない。断末魔の狂行を2/3ですべてやり終えるために…。

時事通信社が今月発表した世論調査によると、次期首相に相応しい人物の第一位が小泉純一郎21.2%だったという。『自民党をぶっ壊す』と言った彼が本当にぶっ壊したのは政敵“経世会”であり、そして“日本”そのものであったことを、僕らはやがて知るだろう。そしてぶっ壊させたのは、僕達日本人である。その責任は、僕達一人ひとりがこれから背負って生きて行かなければならないのだ。

リアルタイム財政赤字カウンター



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聖火リレー、キャンベラの空に

2008/04/24 15:07
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もしかしたら自らにとってはリスクのみで、なんの得にもならないようなことを、時に命をかけて、血と汗と少なくない犠牲を厭わずに戦っている人たちがいる。
それは世界の歴史や現実という大きな流れの中で、たった一点の淀みや小石のような存在でしかないのかも知れない。が、そこに息づく小さな、しかし揺るがぬ魂こそが、この世の中におけるたったひとつの“希望”なのかも知れない。
Thank you Australia!

来るか来ないか…すら判らないが、ずっと羽田で聖火を待ち受けることを計画してきた。…が、僕は明日、羽田にも成田にも行く事はできない。
明後日26日、長野で雪山獅子旗(チベット国旗)を掲げることもできない。

けれども…ここから北京五輪が終わるまで、

僕はコカ・コーラ製品を飲まない。
マクドナルドに入店することもしないし、手持ちのVISAカードの使用を封印する。
読売新聞などハナから購読などしていないし、ミズノもデサントもアシックスも終生身に着けない。
佐川急便をヤマト運輸に変えて、ロッテのキシリトール・ガムは、グリコのキスミントに変える。
マイレージを使うことはあっても、私用でANAやJALのチケットは購入しない。
そして味の素と丸大、日清…オリンピック期間中だけは新たな商品の購入はしないし、TVCMで新たにオリンピック協賛商品を銘打つ品物や企業があれば、僕はそれを大会期間中だけはボイコットさせてもらおう。

誰に対する呼びかけでもない。
僕がそうする…という決意である。

一応お約束で貼らせてはもらうが…^^
JOCスポンサー

ニッポン選手団の健闘を誰よりも強く願っているし、それはTV観戦でしっかり応援させてもらおうと思う。

がんばれ、ニッポンの選手達。

そしてFREE TIBET !!!


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第6法 死刑廃止 献体法 〜光市母子殺害事件判決にむけて〜

2008/04/19 10:34
第6法 死刑廃止 献体法

死刑を廃止し、この国の刑法における極刑を“献体”と定める。
これは懲罰を目的とするものではなく、遺族、そして社会への償いと貢献を目的とする合理に基づく処置である。これにより当該者は判決後30日を経て法に定めるあらゆる人権を失い、その身柄をあらゆる法の拘束から解かれた“浄罪の塔”に封じられ、以後ここから生きて出する事はできない。公正な入札の元、公益に寄与する用途の中で、もっとも高い代価を支払ったものに、その身体と命は預けられる。


〜解説〜

被害者の死や痛みは、加害者のその死(処刑)を持って贖(あがな)われるものではない。

死刑…とはなんの為にあるのか?
またその加害者の命を奪うことが、被害者やその遺族、そして社会に対して何をもたらすのか?ただ応報のために、無意味に殺してしまう現状の死刑制度は不合理・非効率である。その死を少しでも意味あるもの、合理的に被害者やその遺族、そして社会の未来に寄与するもの…に変えてゆくべきであると僕は考える。

その加害者の命の代価により被害者や遺族が、経済的にわずかでも救済されるものならば、またその代価により安全な社会基盤の整備に投資できるものならば、そして何よりも医学・薬学・免疫学・臓器移植学の分野の新たな発見や進展に寄与するものであれば、これらの命は、その合理の下で、善良なる市民の公益やその命の救済の為に役立てられるべきである。そしてまたこの合理に基づく“献体”による恐怖は、必ずや犯罪の抑止に寄与するものであると僕は予想する。

少なくとも死刑囚の名の下に毎年数百万円、時に終生で数千万円もの費用を費やしてその執行を拒み、後々の法相にたらい回ししているような現行の死刑制度は明らかに破綻している。であれば、その経費は被害者遺族や昨今夥しい数にのぼる被疑者未検挙の被害者遺族に対してあてられるべきではないだろうか。

僕がここで論じている事柄は、一個人の戯言とはいえ、明らかに現状の、世界の、“人権”意識に照らしてそれを逸脱したものであろうことは認識している。僕はこの100法を信念を持って語っているが、一方では現実社会におけるフィクションでしかない事もまた重々自覚しているし、この場で誰かを煽動する意志なども毛頭ない。

ただし僕は、“人権”とは他者のそれを“尊重”して、はじめて得られるべき“権利”であると思っている。他者のそれを踏みにじりツバをかけておいて、その上で主張することが許される“権利”ではない。

“義務”があって“権利”がある。

法においても、社会道徳や慣習、そして人と人とのちょっとしたふれあい、関わり合いの中においても、それは基本の条理でなければならない…と、僕は信じている。

たとえアムネスティや国連、人権派たちの“それ”が、どのような理念に基づき、そこで何が語られていたとしても…である。

憤怒、絶望、憎しみ、孤独、不理解、圧迫、脅迫、そしてゆるがせに出来なかった己の信念…。
本村洋さんが必死で戦い、そして貫いてきたこの9年間の闘争に、わずかな報いが訪れることを願わずにいられない。そして二度と戻らぬ弥生さんと夕夏ちゃんのご冥福を心から祈り、このような卑劣な出来事が現実に再び繰り返される事のないよう、刑法の更なる厳罰化、そして合理化を僕は望む。


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【映画批評】 『ボラット』 ★★★

2008/04/16 11:06


『ボラット』 ★★★      
(満点は★5)


米ゴールデングローブの受賞からずっと気になっていた本作。
実際にどこまでがドキュメンタリーでどこからが仕込みなのかは判然としないが、ボラットのボケに対する出演者のそのあまりにも“自然”すぎるリアクションの為に、逆に笑えなかったり、見ているこちらが冷や汗をかいてしまったり…という不思議なドキュメント・コメディであった。
ある種『ジャッカス』(Jackass)にも似た趣があり、それに少しスパイスとしてのインテリジェンス(?)を加えた作品…とでも言えば判りやすいだろうか…。

理性の縛りから開放され、この作品の“センス”と“仕掛け”に馴染むまでに15〜20分程の時間を要したが、終わってみれば嫌味のない爽快なコメディであり、様々な訴訟を恐れずに、よくぞここまで“バカ”に徹した…と、このバカクリエイター達を褒めてあげたい。

ちなみに、個人的にはエンディングの“カザフスタン国歌”が一番ウケた。


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チベット人僧侶に変装した中国軍兵士【その動かぬ証拠画像】

2008/03/30 13:26
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注【画像の出所は把握できておりません。またこれが真実であると強弁するつもりもありません。どちらが嘘を言っているのか…その真偽については読者の皆様が、個々でご判断いただければと思います】



チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は29日、ニューデリーで記者会見し、チベット騒乱について「数百人の中国人兵士が僧侶の格好をしていたと聞いた」と発言。「僧侶が暴動を始めた」とする中国側の主張を念頭に、騒乱のきっかけを中国側が仕掛けた可能性を示唆した。PTI通信が伝えた。

ダライ・ラマは「兵士らは僧侶の格好をしていたがチベットの刀でなく中国の刀を持っていた」と根拠を説明した。

http://www.asahi.com/international/update/0329/TKY200803290269.html
(asahi.comより)


「(中国政府を)声高に批判し、五輪と関連させることが今の段階で適当かどうか、よく考えなければいけない」

福田康夫首相の言葉である。
国益を越えて、EUの首脳たちが北京政府への圧力に協調する動きを見せる中、道路特定財源のドタバタに七転八倒しながら、またしても他人事のように吐かれたセリフである。

無辜の民の無差別な“虐殺”をなんらの咎めなく是認する発言である。
140人の罪無き人々が殺され、逮捕・拘束者は1400人にも上っているという。彼らが今現在、どのような危機に晒され、どのような扱いを受けているのかは、想像すれば判る筈だ。

JOCスポンサー

上記リンクがJOCスポンサーの一覧である。


日本政府に圧力を、そしてスポンサーサイドの思惑に怯み、腰の引けた報道に終始するメディアと、北京五輪協賛スポンサーに対して、僕たちは自らの意志を、そして批判を、突きつけてゆくべきではないだろうか。この状況をただ他人事として看過し、日々を過ごす事など僕は絶対にしたくはない。
たとえどんなに微力であったとしても、僕は僕に出来る事を通して、この問題に抗っていこうと思っている。


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大阪への旅 〜新世界との出会い〜

2008/03/22 12:47
その昔、旅は一番の趣味であり娯楽である…となんの躊躇いも無く言えた時代もあったが、最近は時間が取れないこともあり、めっきりその回数は減ってしまった。またその都度の旅程はせいぜい3日から長くても5、6日程度となり、海外で羽を伸ばすほどの暇はなく、近場でお茶を濁すようなスタイルへと変わってしまった。

大きなシートでラクチンに世界を飛びまわれるような身分でもないし、極力節約をしてその対価を体力で支払えるほどの根性もすでに無く、知らぬ間に貯まったマイレージを用いて沖縄の海で波間に浮遊したり、駅や街頭で入手した旅行パンフレットをパラパラとめくりながら、未だ訪れたことの無い日本の街や都市への旅を、行き当たりばったりにチョイスして出かけてみたりしている。

そしてある時ふと気付いた。
僕は大阪を旅した事がなかったのだ。

訪れたことがない訳ではないが、それは旅とは無縁の経由や通過のような接点でしかなく、僕は大阪という街を未だじっくり散策した事はなかったのだ。思い当たって半月、僕はネットで大阪行き3泊4日の旅を設え、東京発の新幹線に乗り大阪の地へと赴いた。

いつだってそうなのだが、僕にはありきたりの観光地で写真撮影に時間と労力を費やすような一般的な旅…というものができない。京都へ赴いても清水寺や太秦の映画村などへ足を踏み入れることなどまず無く、崇仁や東九条などの東京で言う下町…と呼ばれるような裏町をぶらつき、そこで現地へ行かなければあまりお目にかかれない風景や食べ物、人の暮らしや風俗…といったようなものを関心を持って眺めてくるのだ。今回の大阪の旅も、USJやアメリカ村、海遊館や道頓堀など目もくれず、芦原橋のリバティ大阪(大阪人権博物館)や鶴橋のコリアタウン。その昔大きな暴動や青空カラオケで騒動となった西成や天王寺公園、そして労働者憩いの街…新世界などを丹念に足で回り、夜は夜で十三(じゅうそう)のションベン横丁にて、関東の生活ではあまりお目にかかることの無いホルモン焼き屋や串カツ屋で飲めない酒をチビチビ舐めながら、噛み切れないホルモンやラードで揚げた脂っこい串揚げをつまみ、大阪の“味わい”を充分に堪能させてもらった。

日々の習慣のように昼間からワンカップを片手にふらふらとママチャリを運転しながら、名物ビリケンの足裏を丹念に撫でまわす酒臭いおっさん…。
『それご利益なかっただろう。いい加減気付けよオッサンっ!』…と思わず傍からツッコミたくなる微笑ましい新世界の日常。

狭いアーケードの中を人の波を縫うように、ダブルのスーツ姿でママチャリを器用に駆りながら、ケータイの向こうの顧客に、
『ほやからどこの銀行やねん、ボケぇ。ナメとったらアカンぞ、ゴラっ!』
と、借りたものは返せよ…という人の道を独特な表現力で大胆に説く西成のホワイトカラー。

天王寺動物公園駅前の古本屋の軒先には、寒さの中、裾の破れたズボンと肌着一枚でブルブルと身体を震わしながら、かぶりつくようにエロ本の濡れT透けチク…の1ページに見入る初老の都市型アウトドアおやじさえ発見してしまう…。『そっちかよっ!寒くないのかいっ?腹は減ってないのかいっ?ええぇ?おっさんっ?』
思わずそんな問い掛けが口をついて出てしまいそうになる…どんだけ現役なんだよ…おっさん…。

3泊4日…めくるめくおおさかの4日間は、そんな新世界に集う、天王寺公園に集う、西成に集う、オッサン達の、逞しい生命力とおチャメな人間性に出会った心温まる(?)旅であった。

あの日触れ合った大阪の皆さん、駅のエスカレーターに乗るたびに、ついつい日常の習慣で左側に立ち止まってしまい、通行の妨げとなってしまっていた事、本当にごめんなさい。関東の人間から見れば、ともすれば少しルーズなキャラクター…というイメージもある大阪の皆さんの、エスカレーターにおける左側歩行…の徹底した様は、ため息が出るほど統制のとれた見事なものであったことを最後に付け加えたい。そして、彼らのコミュニケーションスキルの高さ、自己表現力の豊かさ、温かみのある人情、さらに日常会話において、少しでも相手を愉しませようと試みる思いやりと話術の巧みさ…正直、これまであまりいいイメージを持ったことが無かった『おおさか』という街に、僕は強い親しみと愛着を感じたし、いつまでもこの明るさと人情味を失わないで欲しい…と今心から思っている。

何はともあれ橋下府政の元、なんとしてでもこの厳しい財政状況から一刻も早く脱っし、この地に明るい未来が築かれてゆくことを切に祈っている。

たこ焼き、お好み焼き、ネギ焼き、うどんに、ホルモン焼きに串かつ、チヂミ、キムパプ、ミックスジュース…大阪経済にはあまり貢献することなく帰京してしまい、それが少し心苦しくもあるのですが、お世辞ではなくどれも本当に美味しくいただきました。そして何よりも嬉しかったのが、去り際、微笑みとともに当たり前のように投げかけてくれたこの言葉、

『おおきに』

この4日間の楽しい旅の感謝をこめて、そこで触れ合ったすべての大阪の皆さんにこの言葉をお返ししたいと思います。

本当に、おおきに!

おすすめBGM eastern youth - Boiling Point 36℃




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FREE TIBET 【武力弾圧の真実】

2008/03/19 01:31
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銃を持つはずも無い彼らが、銃で心臓を一閃に貫かれている。
50年にわたる侵略とジェノサイドの果てに、自治権を奪われ、抗う力さえ削ぎ落とされた彼らは、今その声さえ奪われようとしている。

僕らはどこまで彼らの災厄に無関心でいられるだろうか?
平和とスポーツの祭典は、彼らとどこまで無関係で居られるのだろうか?

映像はすでに削除されているかも知れないし、これは間違いなく、誰もが目にしたく無い光景です。そして目を背けようと思えば、これまで通り背けながら生きてゆくこともできる。無力な僕に今できる事と言えば、正直こんなことぐらいしか見当たりません。ご覧になって気分を害する方も居られると思いますが、この場にリンクを貼らせていただきます。

18 March 2008 Tibet *動画は削除されました。

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〜追記〜

誤解のないよう付け加えておきますが、僕が言いたいのは北京五輪をボイコットせよ…ということではありません。それは選手個々が決定権を保持すべき事柄であり、国が統制すべき事柄ではない。が、世界がひとつになってこの場はそれを“盾”として用いてでも、数百人と言われる拘束された僧侶とその家族たちの解放を、今すぐ中国政府に求める…という手段もあって良いのではないだろうか?この地を平和の祭典の開催地として決したIOCや賛同した国々には、その責任と義務があるのではないだろうか?




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女子大生レイプ焼殺事件

2008/03/01 12:09
〜中日新聞 2008年3月1日 朝刊より〜

2002年、女子短大生に火を付け殺害したとして、殺人や強姦などの罪に問われた無職服部純也被告(36)の上告審判決で、最高裁は29日、服部被告の上告を棄却。

2審東京高裁の死刑判決が確定する。

 古田佑紀裁判長は「何ら落ち度のない被害者を、意識のある状態で灯油をかけて焼き殺しており残虐。強盗致傷罪などで長期服役し、仮出所からわずか約9カ月後の犯行で、犯罪性向は深化し、凶悪化している。更生の可能性は乏しい」と述べた。

 被害者1人の殺人事件での死刑確定は異例で、性犯罪に厳罰化を求める社会の流れを受け止める判断となった。

 弁護側は「被害者1人で、従来の基準と比べれば死刑は重すぎる」と主張していた。

http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008030102091655.html


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

たった一人の殺人に対して、死刑の判決は重すぎる…。

それが弁護側の主張だと言う。

だとすれば、

『あなたの娘や孫がレイプされ、生きたまま灯油をかけられ焼き殺された時にも、同じ事言って加害者の減刑を申し出てください』

この弁護人に僕はそう言いたい。
被告人の為に法廷で戦うのが弁護人の役目であることを否定するものではないが、一人の無法者の手によって、無残にも葬り去られた、罪無き、掛けがえの無いひとつの命を、軽んじるような発言は許されるものではない。

人の痛みをなぜ思いやれないのだろう。その痛みに、こんなにも近く触れながら、なぜ平然とそれを黙殺し、亡くなった方や遺族の感情を踏みにじるような言葉が吐けるのだろうか?

「被害者1人で、従来の基準と比べれば死刑は重すぎる」

被害者は決して“一人”ではない。
そこに寄り添った、共に生きて喜びや痛みを分かち合った、そしてこれからも彼女と共に在りたい…と願ったすべての人々が被害者であり、それはいかなる罰をもってしても、一個の人間が償えるものではない。

人間二人以上殺さなければ、まず自分が殺されることは無い…。それが従来の基準だとすれば、オカシイのはこの“死刑判決”ではなく、“従来の基準”の方である。その“従来の基準”によって犬死させられた尊い命と、それによって身を切られるような悲しみを背負い、それでも生きてきた人、生き続けなければならなかった人達の“痛み”にこそ、法は光を当てるべきである。

法とは、弱者の手足を縛り強者の横暴を助長するために在るものなのか?
そして法とは、遵法者を蔑ろにし、無法者を守るための道具なのか?

であればこのモンスターを生み出したそれは、加害者の“恵まれぬ幼少期”などではない。“法そのもの”である…と僕は思う。
運用や解釈、裁判官の判断による厳罰化の流れ…ではなく、法改正による厳罰化を僕は望む。応報ではなく、抑止の為の厳罰化を…である。


次回、第6法 死刑廃止、献体法 をまとめてみたい。

亡くなったSさんのご冥福をお祈りすると共に、この事件によって今も癒えることのない痛切な“痛み”を抱えているすべての方々に、謹んでお悔やみを申し上げます。


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中国の蛮行と“理解”への努力

2008/02/25 10:09
〜以下は2005年、中国で起きた“反日デモ”の際に書き記した随筆です〜


今から10年以上前になるだろうか、僕はバックパックを背負って中国沿岸部を一月ほど旅をしたことがある。いろんな本を読んだり人から話を聞いたりして、中国の人々についてのある程度の予備知識は踏まえて入国したつもりだったのだが、実際に行ってみると彼らのその素行には大きな衝撃を受けた。

これはあくまで10年前の話なのだが…

彼らは列というものを作らない。並んで順番を待つ…ということをしないのだ。よって待ちかねた何かが開く時には常に押し合いへし合いの修羅場と化す。

百貨店であれ下町の菓子屋であれ、物を買うときには3度に2度はボラれるし、そのつり銭を受取る時には3度に3度投げ返される。

足を踏んでも肩をぶつけても自転車でぶつかってきても決して謝らない。

食堂で人が食べているそのすぐ横で平気で他人の足元に痰を吐いたりタバコを捨てたりする。

真夜中であろうともホテルの部屋で大騒ぎをする。ドアの開閉音など凄まじいものがあった。

ぎゅうぎゅう詰めの電車で連結部の通路に立っていたら、客席から子連れの母親がやってきてやにわに子供のズボンをずり下げ、僕の足元にためらいなく放尿させた。ハっとしてバックパックを抱き上げて間一髪荷物は守ったのだったが、足元は小便びたしで半ズボンをはいていた僕の素足にはその放尿の勢いによるシブキがキラキラと光っていた。けれども周りの中国人は誰も咎めるわけでもない。文句を言う者もおらず、平然としてやりすごしていた。日常茶飯事…ということなのだろうとその時の僕は理解した。

最初のうちは苛立つ事ばかりでいちいち腹を立てていたものの、このままでは精神的に持たないと、思考を180度転換させて、どうせ見るべきものもあまりないしこの際中国人の生態をじっくり観察して帰ろう…と思うようになった。そしてその瞬間から、彼らのそういう不躾な行動や習性をおもしろおかしく眺める事ができるようになった。

要するに彼らには、自己という1Dの世界しか存在しないように見えるのだ。
主観はあるが客観がない。…というか客観という視点の存在についてすら“未知”なのではないだろうか…?と思わされることすらままある。(中国人に限らず日本人にもこの手の人間は増量中である)

こう言うと僕が中国人のことをキライだと誤解してしまう人が居るかもしれないが、そうだ…やっぱり基本的にキライなのだ!!!が、全部が全部キライかというとそんな事はなくて、とても親切にしてくれた中国人も、理知的で情が深く、立派な品格を備えた中国人もたくさん居ることも知っている。どの国に行ってみてもやはりそれは同じことなのだと思う。

日本人にひとつだけ知っていて欲しいことがある。
それは、中国国内にいる彼らは必然的に“蒙昧”である…ということだ。
この時代、未だに陳腐で歪な政治体制の中で恣意的に情報が統制され、また如何様にも真実が改ざんされうる“おとぎの国”に彼らは住んでいるのだ。(ある意味この日本も重なる部分が多いのだが…)
彼らが昔の日本軍が行った行為そのものと現代に生きる日本人を混同するように、僕たちは映像に写る中国人の暴徒とその他の十数億の中国人を混同してはいけない。
もしかしたら今それは限りなく似通って見えるかもしれないし、実際同じようなものなのかも分からないが、それをしない理性こそがこの袋小路から抜け出しうる、唯一つの“狭き門”なのではないだろうか?

今、彼らを憎まない努力をしよう。
彼らはただ、天に唾する間抜けな為政者たちの呪いの呪文に踊らされているだけなのだ。


〜以上が2005年、中国で起きた“反日デモ”の際に書き記した随筆です〜


僕はこの旅行の際、中国東北部の或る都市において、数十人の日本語を学ぶ方達の面前でスピーチをさせられた事がある。
その中で“南京大虐殺”について触れたとき、『8万人の犠牲者』と口にした僕に対して、それまで非常に柔和な面持ちで一つ一つ頷きながら楽しそうに話を聞いてくれていた彼らは、一斉に身を乗り出して『南京で殺された中国人は30万人である!』と抗議してきた。そこに僕は、今こうして笑顔で向かい合っている彼らとの、簡単には払拭できない“歴史”という大きな隔たりをまざまざと突きつけられ、かなり動揺してしまったのを覚えている。

『日本の教科書には8万人と書いてある。中国のそれが異なるのも僕は知っています。現実には8万人ではないのかも知れない…と同時に30万人という数字も間違っているのかも知れない。見てきた訳ではない僕は、そのどちらも信じない。ただし8万人と言ってしまった事に対して、あなた方が気分を害したとしたらそれについては謝ります。そして何万人であろうと、何十万人であろうと、僕らの祖先があなた方にした事について心から申し訳なく思っている。それについて心苦しく思っている。そしてその加害を知る事、忘れない事…が僕らの務めであると思っている』

僕はそう話した。それからの数日間、彼らには本当にお世話になった。たくさんご馳走もしてもらったし、たくさんの会話も交わした。驚いた事に、彼らはその数年前に起きた“天安門事件”の事実さえ知らなかった。そして僕のその話を誰も信じなかった。その直後から僕の行動を監視するかのように付き纏う者が出てきた。帰国後に日本から送ったお礼の品物も、ついに彼らの元へ届くことはなかった。それらの出来事が偶然だったのか、或いは意図されたものなのかは今もって僕には分からない。

この反日デモやサッカーに限らず、昨今もいろいろな場で突きつけられる中国の側からの“敵意や悪意”といったものを僕らが非難するとき、僕は一方で僕達の国が過去に犯した“加害”についてもよく理解し忘れないでいてもらいたい…と強く思う。
それによってどこまでも謙る必要などまったく無い…が、それを理解せず、それを理性によって共有しようとも試みずに、ただ彼らを嘲り憎悪しようとする愚かな感性は、一部の中国人の醜悪なそれと何ら変わりは無い。

“理解”への努力を放棄してしまう事によって、ニンゲンは如何様にも非情に、そして残忍にもなれるものである。中国に限らず、僕らは多くの隣人との日々の暮らしの中で、常にその事を忘れてはならないのだと思う。


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ののみや学級

2008/02/11 14:24
その教室は用具室と便所の間の、わずか7、8メートルほどの小さな隙間に在った。

『ののみや学級』

校舎北側の陽の当たらない陰鬱な廊下に、手書きの小さなプレートがこじんまりとはみ出ていた。

バケモノがいる…という噂があった。
口を利けない者や、目ん玉の無い者、生まれながらのハゲ坊主や、くろんぼのこどもがいる…と。そのうち『確かにあの教室へ入ってゆくのを見たっ』という者が現れ、教室には生餌となるニワトリが飼われているらしい…という想像を絶する奇説までが乱れ飛ぶようになっていた。まだ年端の行かぬ子供、小4になったばかりの僕らの好奇心はにわかに高まっていった。

当時学年一の悪ガキで、悪いこと、おもしろそうなこと、危険なこと、は誰よりも率先してまず自分が始めなければならない…と思い込んでいた僕は『ならば俺が確かめてやる…』とクラスの仲間を引き連れ、1時間目の授業が始まる前に、その『ののみや学級』へ向かった。噂の中には、未確認ながら『ヤツらはなかなかに凶暴である…』という不穏なものも有ったが、やはりバケモノに直接対面する…という好奇心の前に、そんな躊躇いもどこかへ吹き飛んでしまっていた。扉の向こうのおどろおどろしい世界、未知との遭遇に心弾ませながら、僕らは恐る恐るその木戸をノックしたのだった。

が、中に人の気配はあるものの返事も無ければ出てくるものも居ない。

すりガラスの向こうに何やらヒソヒソとした話し声は聞こえるものの、こちらの気配に怯えているのか一向に応答はない。

幾分緊張から解き放たれた僕らは、やがてその『ののみや学級』の木造の戸を、ワーワーと走り回りながら“ドンドン”と叩きつけた。当初の過緊張のためか、みんなかなりハイな状態で、ビクつきながらもケラケラと声を上げて笑っていた。僕もその一人だった。

『戸を叩かないで!』

という女の声がした。しかし、廊下に出てくる気配は無い。もう一度皆でバラバラに走り出し戸を“バンバン”と叩いて柱の影に身を潜め様子を見る。…すると一人の小柄な少年が教室から飛び出してきて、一番近くで逃げ遅れた仲間の一人にタックルして引き倒した。

はずみで仲間は硬い廊下に強か頭を打ちつけられた。泣き声が廊下にこだまする。それを見た僕らが口々にその小柄な少年の“蛮行”を責め立てた。その色は確かに僕らよりも浅黒くて、小柄ではあるがいつこちらへ向かってくるとも知れぬその俊敏な動きに、僕らの腰は明らかに引けていた。が、泣き崩れたままの仲間を放って置いたままにも出来ない。僕は勇気を振り絞って、『離せよっ!バケモノっ!』と気合を込めて少年に立ち向かった。振り向きざま、少年は言葉にならぬ怒鳴り声をあげ、こちらに突進してくる。そして少年が僕の胸倉に掴みかかってきたその時に、僕の背後から女の先生が現れ、激しい叱責で彼の衝動を制した。

『やめろっ!離れなさいっ!』

散り散りになって逃げてゆく仲間たち。不意を衝かれて、遅れまいとその場から逃げ出そうとした次の瞬間、僕は抗いきれぬ力にガシっと襟首を掴まれ、その教室の中に引っ張り込まれたのだった。

それは体育の用具室のような、薄暗さと陰気くささ、そして埃っぽさが染み付いたような小さな空間だった。

机は10個ほど並べられてはいるが生徒は5人しかいない。首根っこを掴まれたままうなだれて視線を上げてみると、両腕がカマキリのようにくの字に曲がっている男の子がいた。両方の目がまぶたに埋まり、驚くほど小さな瞳をした女の子がいた。異常に背が高く、牛乳瓶の底のようなメガネをかけた女の子が少し怯えたような表情で神経質そうに貧乏ゆすりをしていた。教室の一番後ろには毛糸の玉ぐらいの小さな顔をした男の子が独り言を言いながらぼんやりと立ち竦んでいた。そしてたった一つだけの小さな窓際には、ついさっき僕の胸倉に掴みかかってきた黒い肌の少年が、口をへの字にしながら鋭い眼光でこちらを睨みつけていた。

僕は小さな教壇の上、先生の横に並んで立たされた。何度も振りほどいてそこから逃れようと試みたが、僕の襟首を強く掴んだ先生の手力には、それは絶対に許さない…という揺るがぬ意志が込められていた。

『興味があるんでしょう?だったら今日一日、一緒に過ごしましょう』

そう言うと、華奢ではあるが背筋をピンと伸ばしたその四十がらみの女先生は、僕に向かって自己紹介をしなさいと促したのだった。

ついさっきの出来事を咎める様子はない。怒っている風でもなく、僕を急き立てるような刺々しさもなかった。…何分もの沈黙が続く。生徒たちはこちらの様子を注視しながらも、それぞれに勝手な手仕事を始めだす。壇上の僕はうなだれたままチラチラと先生の様子を見る。が、先生は泰然と、微笑したままじっとこちらを見つめていた。やはり諦める気配が無いことを悟り、僕は仕方なく口を開いた。

『…キリタニです』

先生は『何年何組?』と尋ねる。

『…4年3組です』

『はい、私はののみやです。じゃあ、よろしくお願いします。』
先生が会釈をしたので、つられて僕も頭を下げた。
『…よ、よろしくお願いします…』

『Fくんの隣に座ってください。Fくん、キリタニくんを連れてって』
先生がそう言うと、イヤイヤながらもその色黒の少年は僕の腕を掴み、犯罪者を連行するような憤怒の面持ちで自らの隣に着席することを促した。たったひとつの小さな窓からは遠くのハゲ山が見えた。生餌のニワトリの姿などどこにも見当たらなかった…。

やがて木戸をノックする音がした。僕の担任の先生の顔が見えた。ののみや先生と僕の担任は廊下で何やら話合っているようだった。そして数分後に担任が木戸からこちらに顔だけ出し、

『しんくん、今日一日お世話になりなさい。みんなよろしくねっ!』
と曇り一つ無い晴れやかな笑顔を振りまいてサッサと帰っていった。捨てられた子犬の気持ち…が、その時初めて判ったような気がした。僕は深い絶望に打ちひしがれていた…。

それからののみや先生に促されて、1時間みっちりかけて5人の生徒の自己紹介が始まる。自身の名前や学年(彼らは2年生から6年生まで混在していた)の他にも、それぞれの兄弟の話や誰かと誰かが最近喧嘩をした話、また誰かと誰かが仲良しな話。得意な遊びや覚えかけのピアニカの実演会など…僕にとってそれは、途方に暮れるような退屈な時間だったが、彼らは無邪気にそれを楽しんでいるようにも見えた。彼らの精神がある部分において自分のそれとは僅かばかり異なる場所に在るような雰囲気はなんとなく判った。けれども、だからといってなぜ彼らがこんな場所で、僕らとは別に隔離されているのか…は判らぬままだった。

自己紹介の終わりに先生は教壇に戻った。そして微笑みながらも、真剣な面持ちで僕に念を押した。

『しんくん。みんなの名前を覚えて帰ってね』

ののみや先生のその言葉には、何か凛とした強い意志のようなものが込められていた。僕の襟首を掴んだときの手力、そしてこの言葉を僕に投げかけた時の目力と威厳…彼女は結局一度も僕を叱ることはなかったが、この2点において僕はこの先生に抗うことの不毛さを否応無く認識させられた。

『6年生のMMさん。5年生のFMくん。5年生のJEくん。3年生のHTさん。2年生のNDくん。ここには5人の生徒が居ます。ここはののみや学級です』

僕は頬杖をつきながらコクリと頷いただけだったように思う。こんなことならば職員室にでも連れてゆかれて、一、二時間ばかりこってり絞られたほうがどんなにマシだったろうか…と正直思っていた。気の遠くなるような退屈な時間を、そして自身の悲運を激しく呪っていた。

一時限ごとに教科は定まっているが、それぞれがそれぞれに学年が違い、教科書も違うものだから、それは一つの授業という態ではなく、5分割の個人授業のような趣だった。しかもキチンとしたカリキュラムに則って…というよりは、それぞれがそれぞれの能力にあった教科書を用いて勉強しているようだった。4年生の僕と同じ学年の生徒はいなかった為、僕はFくんと机を並べて同じ教科書を共有させてもらったが、使っていたのは2年生の教科書だった。また幼い頃から算数が苦手な僕だったが、僕以上にこれまた算数がちんぷんかんぷんのようだったFくんのために、二桁の足し算や引き算につき合わされた…2年生のNくんと3人で一緒に2年生の教科書を教材に設問を解かされる…。いくら自分自身算数が苦手だったとはいえ、さすがの僕もこれには閉口した…。

退屈して、僕は頬杖をつきながら窓の外ばかりを見ていた。
2年生のカマキリ腕をしたNDくんが、愛嬌たっぷりにそんな僕を真似てみんなの笑いをとる。つられてFくんもニコニコ笑いながら僕の真似をする。気遣っているのか、バカにしているのか…僕には判らないが、またみんなの笑い声が起きて、さらに僕の気分は沈んでゆく…。

やがて給食の時間がやってくる。
ののみや先生はここで一緒に食べましょう…という。4年3組の給食係の女子が当たり前のように僕の給食を運んでくる。ニヤニヤと笑いながらやってきて『召し上がれ!』と言い残して去ってゆく…。そしてまた5人の笑い声が巻き起こる…。まったく最悪の気分だった。

結局、僕はその後3日間。…3日間もの間、朝4年3組に入室しては担任に促され、ののみや学級に向かわねばならなかった。3日間、毎日小2の教科書を教材に授業を受けねばならなかった。そして事あるごとにFくんやNDくんにからかわれ、ちょっかいを出されながら、イジられキャラを演じねばならなかった。当初これは苦痛以外の何物でもなかった。

朝、僕がバツ悪そうにののみや学級の戸を開けると、ののみや先生の『しんくん、いらっしゃい!』という声に呼応するように、彼らは決まってカラカラと声を上げて愉快そうに笑った。頼まれるでもなくFくんが僕を連行するように窓際の席に導く。そして僕と彼の間に1冊の2年生の教科書が広げられる。僕がそっぽを向く。窓の外を眺める。するとNDくんが頬杖をつく僕を真似て、皆でまたカラカラと声をたてて笑う。給食になれば牛乳が苦手な僕を指差してまたカラカラと笑う。ののみや先生に学力を試された僕が、6年生の国語の教科書の朗読に窮するのを見て、2年生の教科書さえまともに朗読できないFくんが笑う。そして6年生のノッポで牛乳瓶の底のようなメガネをしたMMさんが、小声で僕に漢字の読み方を教えてくれる。それをカマキリ腕のNDくんがモノ真似して、またみんなの笑い声が起こるのだ。

みんながみんな、僕をおもちゃにして楽しんでいる様子だった。そして日がたつにつれ、僕もそんな彼らの心の動きを、些細なことでも笑いのネタにしたり、欲求や好奇心の赴くまま素直に振舞うその様を、密かに心地よく受け入れられていたような気もする。たまにケンカは起こるが、誰に促されるでもなくまたすぐ仲直りをする。帰りの会で自らそれを謝る。ののみや先生に促されてお互いに握手をする。そしてみんなで歌を歌い別れる…。毎日がそんな繰り返しだった。体育は無かった。時々、皆で教室でハンカチ落としをしたりして遊んだ。すべてがその小さな教室の中での出来事だった。校内の他のどのクラスとも没交渉に、そこだけののどかな、安らぎある時間が流れていた。

あれから長い年月を過ごしたが、僕の耳の奥には、あの日の薄暗い小さな教室にカラカラと響いていた彼らの陽気な笑い声が今でも残っている。たくさんの記憶が、日々薄れ、消え去ってゆく中で、あの記憶だけは今でも鮮明なままである。


3日目の最後の授業が終わったとき、ののみや先生は教壇の上に僕を呼んだ。

『みんな、しんくんは今日で4年3組に戻ります』

みんな笑顔だったが、あのカラカラという笑い声は聞こえなかった。

『しんくん、みんなの名前を覚えてくれたかな?』
最後に先生は僕にそう尋ねた。

僕はハっとしてとして先生の顔を見たが、先生は気にも留めずに生徒の一人を指差す。

『しんくん。はい、彼女は誰だっけ?』
その指す方を見て、僕はホッとして答える。最前列に座るMMさんである。

『6年生のMMさん』
MMさんが笑っている。すると先生はすかさず、違う子を指差す。
『彼は?』
僕は少し身を乗り出した色黒のFMくんを眺めながら、余裕しゃくしゃくで答える。
『5年生のFMくん』
『はい。じゃあ、彼は誰?』
カラカラと笑い声が起きる。どうやら、みんなこのゲームを気に入ったようだった。カマキリ腕のNDくんが自信ありげに腕組みをしてこちら見つめる。
『2年のND…NDくん』
彼が得意そうに頷く。先生がそれをからかいまた笑いが巻き起こる。残りの二人の名前は、一番前の席に座った6年生のMMさんに小声で助けてもらった。最後に先生は『忘れないでね』と僕に念を押した。のののみや学級での3日間はこうして終わった…。

彼らを“バケモノ”と罵った僕のことばは、結局最後まで咎められることはなかった。

僕はその“バケモノ”という言葉を、5人のヒトの名前に置き換え、一足先にののみや学級を卒業させてもらった…。ののみや学級が僕らの学校から姿を消したのは、その2年後ぐらいの事である。僕らが6年生になった時には、その教室はただの用具室の延長として扱われていた。
きっと彼らは、ここから遠くはあるが、もっと居心地の良い場所を与えられたのだろう…と僕は思った。ののみや先生の姿もそれっきり一度も見たことはなかった。

4年3組に戻り、僕は『バケモノ』はやはり居なかった…と皆に伝えた。そして噂どおりヤツらはかなり手強い…と。そしてあの遊びは危険であり、ののみやというあの女教師は“鬼”であった…と。

僕らの彼らに対する好奇心は急速に醒め、今度は学校下に住む好色ジジイが4年生以上の女子だけを家にあげてお菓子を振舞う…という噂を聞き付けるに及び、ジジイの家の裏山、畑へと繋がる畦道に大きな落とし穴を拵える事に血道をあげた…。結局ジジイを穴に葬ることは叶わなかったが、僕らはそんな風に何ら変わらぬ日々を過ごした。今にして思えば、まったく“イタい、イタすぎる”糞ガキだったと思う。

ののみや学級の生徒たちと、僕はその後言葉を交わすことはなかった。残念ながら、そこに収まりの良い物語などなかった。

ただ、時々学内で不意に顔を合わせた記憶だけが残っている。6年生のMMさん、5年生のFMくん、そして2年生のNDくん…。合うたびに彼らは幾分親しみを込めた笑顔を、僕に投げかけてくれていたように記憶している。

放送委員だった僕が、給食・昼休みの校内放送に、DJ気取りで好きな音楽をかける。下校時間に生徒へ帰宅を呼びかける。…そんな時、少し背の伸びたカマキリ腕のNDくんが、一階の放送室前の生垣から体を乗り出すようにして、窓を隔ててDJに興じている僕をのぞきこんで見ていた事が何度かあった。こちらを挑発するかのように、彼はあの笑顔でよく頬杖をつく仕草を見せてくれた。

僕が“あっちへ行けっ!”と手で促す。
彼はそれを見て、少し反抗的にその手を払いのける仕草をする。
そして自身の顔を指差す。

“僕は誰?”

僕は決まって両手を広げ、

“知らねーなぁ!”
のポーズをしてやる。

次の瞬間、彼の満ち足りた笑みがその顔にあふれ、アッカンベーをして立ち去ってゆくのだ…。

そんな他愛の無い情景が、今も色褪せることなく、僕の記憶の中でカラカラと笑い続けている。


*思い出の曲
Tom Waits - In The Neighborhood



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第5法 道路特定財源の廃止と健康・環境加算税の制定

2008/02/04 17:42
道路特定財源は即刻廃止とする。
ただし、現行のガソリン税1L¥53.8は、ガソリン小売価格(現行約¥100)への100%の環境(加算)税へと改定し、一般財源化する。*ガソリン価格はこれにより時価1L約¥200となる。

道路以外に関しても、あらゆる特定財源は撤廃する
また国民の健康や地球環境に対して負の作用をもたらす可能性のある物品やサービスの販売に際しては、これに100%〜200%の健康・環境(加算)税を制定し、使途目的を特定せず一般財源にあてる。タバコをはじめ、特定の酒類や食品添加物、農薬、化学肥料などもこれに属する。



〜解説〜

道路特定財源に関しては言うまでもない。一般財源の枠内で処理すれば良いだけの話。利権に群がり私欲に駆られて政治を牛耳ろうとする厚顔無恥な“利権顔”をした者たちが、この機会に駆逐されることを心から望む。

また使途を特定する財源の在り方は、利権や汚職を生む不合理な税制の在り方として断じて反対ではあるが、健康や環境へのマイナス要因となり得る分野の商品・サービスに対して、逆にそこへ税や負担を加算して、国民の省エネ意識や、業界の積極的な新技術への挑戦を促してゆく税制というものも、今後議論されるべきではと考える。

石油やガソリンなどの価格が、加算的な税制の為に高くなるとすれば、代替エネルギーや、新技術、省エネ技術の開発や革新はさらに加速されるだろうし、そのような社会的貢献に取り組む企業の価値、信用度はこれまで以上にマーケットからも高く評価されるだろう。

行政の側の“手心”から与えられるインセンティブではなく、厳しい競争環境の中の自主自立による“付加価値”の獲得…それこそが本質的な国力の復活を支える原動力になるものと考える。
特にガソリン、石油価格の高騰は、あらゆる商品やサービスにダイレクトに関わってくる問題である。それはやがて食料自給率やフードマイレージの問題、マヤカシではない本質的なリサイクル・リユースへの国民意識の啓蒙に大きく作用する端緒となるだろう。

“今”という視点で考えれば、これは“大きな負担”でしかないだろうが、“未来”という視点で考えれば“かけがえの無い財産”をもたらし得る、挑戦なのかも知れない。

道路特定財源の不毛な論争を一刻も早く終結し、この国の“未来”について真剣に考え、行動する政治の到来を期待したい。そしてこの政治を変え得るのは、国民の意識の変革以外に無いと僕は信じている。

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パンデミック 〜命の選別〜

2008/01/23 01:56


鳥インフルエンザのパンデミック(感染爆発)が起こるか起こらないか…それは既に議論の余地などない。問題はいつ起こるか…そしてどれだけの被害に食い止められるのか…という事である。

先日のNHK特集を見て、このような見解に初めて触れられて驚いた方々もいることだろう。
20世紀初頭に流行した新型インフルエンザ“スペインかぜ”に感染した人間は当時の世界全人口の約50%である6億人。そのうち死に至った感染者は5000万人とも言われる。感染者の致死率はおよそ8%。全人類の約20人に1人が、この新型インフルエンザにより落命したとも言われている。

今回のこの鳥インフルエンザ(H5N1型ウイルス)は、これまでのところ致死率約60%〜80%。インドネシアに続き、先日中国においても人→人感染が確認され、いよいよ感染爆発へ向けての最終コーナーを回った段階と考えられる。WHOは最大で死者5億人(全人口の8%)と見積もっているようだが、この強毒性が保たれたままの状態で人→人の感染爆発に至れば、パニックと化した世界は二次的三次的な様々な混沌に見舞われ、阿鼻叫喚のカタストロフィをくぐらねばならないのかも知れない。

現在アメリカ国内では、感染爆発から半年掛かってやっと供給されるワクチンを誰から、どの世代から優先的に投与するのか?感染患者の生命線とも言える人口呼吸器を誰に与え誰に与えないのか?そして溢れ出る死者をどう葬るのか?『誰を生かし、そして誰を見殺しにするのか…?』の国民的な議論が巻き起こっているのだという。
そして既に『若者を救い、年配者を見捨てる』という優先順位のコンセンサスが、国民的議論を元に形勢されつつあるのだという。このようなアメリカ人の気質、リアリズムとヒューマニズムの均衡の取れた調和とその合理的価値観に、僕は感動すら覚える。

ひるがえって、今の日本はどうだろうか?
“命の選別”という、神の領域に触れる究極の議論どころか、“その時”に対する認識、あるいはトリインフルエンザに対する予防や対処法等に関する知識ですら、国民の意識に充分に行き渡ってはいないのではないだろうか?

感染したら病院へ行けば医師に診断してもらえ、タミフルがもらえる…と思っている認識。病院が混んでいたら、薬局で市販薬を買えスーパーで滋養のある生鮮食材を買い込める…と思っている認識。どのような事態においても、電気や水道やガスなどのライフラインが保たれ、銀行に行けば現金が引き下ろせる…と思っている認識。そして金さえあればとりあえず物には不自由しないと思っている認識…。

“その時…”に至って、僕ら日本人ははじめて気づかされるのかも知れない。


自分が死にゆく者…なのかどうかはまだ分からない。が、悔しいのは、死にゆく者…の多くは、実はH5N1型ウイルス…ではなく、政治の無策、国家の無策、そしてそんな政治や国家たらしめている自らへの“無自覚”によって落命してしまうのだ…という現実である。

目下1リッター¥25の使い“道”に躍起になっている政府与党、そして官僚。差し迫った命や経済の危機…の問題には何ら実効的な対応もせずに、党利党略による税金の使い道にのみ血眼になっている…。

このシュール過ぎる“現実”と、一体僕らはどこまで付き合っていかなければならないのだろうか?その道の向こうに、一体彼らは何を見ているのだろうか?


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忘れられないサッカーの思い出

2007/12/23 22:54
僕の姉はある意味スーパースターだった。

彼女は小学生の頃から、走れば長距離も短距離も、最高学年に達する前にすでに校内No.1の速さだったし、陸上部に在籍している訳でもないのに、走り幅跳びをすれば、まともな鍛錬も積まずに難なく地区予選を突破し県大会まで勝ち進んでいた。また、どこから受け継いだのか(?)容姿にも恵まれ、周りの男の子達からもたいそうモテていた。とにかく何をやってもとても目立つ存在だったし、僕の両親もそんな姉がいつも自慢の種であった。

一方、紛れも無くその同じ遺伝子を分かち合った僕は…というと、走っても跳んでもサッカーをやっても、彼女のような華々しい存在にはついに成れずじまいで、そのDNAに期待して借り出された小・中学校時代の陸上競技会地区予選において、100M&高飛び&ハードル全競技で、辛酸を舐めさせられた思い出したくも無い過去がある…。結局、何一つ一番になれなかった僕の青春時代は、ただひたすら、そんな“コンプレックス”との絶え間なき格闘の時代であったような気がする。

僕は小学3年生の時から地元のサッカー少年団でサッカーを始めたのだが、小学5年生時の地区予選を最後に一度サッカーをやめている。熱心に野球を勧める父と、泣きながらケンカをしてまで始めたサッカーを、なぜやめてしまったのか…実は懐かしい少年団時代の恩師と再会し、その当時の記憶を語ってもらうまで、思い出すことすらできなくなってしまっていた。今、思い返せば、それもこの“コンプレックス”に起因する出来事だったのかも知れない。


『あの時のしんちゃんの顔が忘れられない。ぷーっとホッペタを膨らまして、顔を赤くしてネ。キッと俺を睨みつけて、お父さんの車に乗り込んで行ったね…』

帰省中、田舎の居酒屋でバッタリ十年ぶりに顔を合わせたM先生は、懐かしそうに微笑みながら僕にそう語った。すっかり消し去っていた記憶が、その時、鮮やかに脳裏に蘇った。

学校で一番ではなくとも、それなりに足の速かった僕は、4年時には時々試合に出させてもらえるようになり、5年時にはFWのレギュラーの座を与えられていた。そしてその大会は、憧れの読売ランドに続く県予選での試合だった。到底全国大会にコマを進めるようなチームではなかったが、少なくとも優勝候補の一角と試合をして帰りたいと僕らは思っていた。
ところがその一つ前で、僕らは出来たばかりの新興チームに敗れた。もう一つ勝てば優勝候補の強豪チームと試合ができる…という状況だった。その、敗戦が決まる直前の出来事である。スコアは覚えていないが間もなくロスタイム…という時間帯だった。先生は一度も公式戦に出た事のなかった6年生のO君を、僕に代えて投入したのだ。

僕はそのままベンチには戻らず、試合を見に来ていた父の車に直行した。そして試合終了を待つこともなく、ユニフォームを着たままチームとは別に帰宅した。

長い間、記憶の中から消し去っていたその当時の気持ちを思い起こしてみれば、きっと自分より明らかに力の劣るO君に代えられた事に、僕は腹を立てていたのだと思う。自分の所為で負けてしまったかのような、そのバツの悪さに耐えられなかったのだと思う。そしてとても忙しい中、仕事を休んでまで遠い試合会場まで来てくれた父に、合わす顔がなかったのだと思う…。姉と同じくらいに誇らしい自分…を見せられなかったことに、心の底から、打ちのめされてしまっていたのだと思う…。

その時何も言わなかった父は、今にして思えば、僕のそんな行動を恥じ、そしてそれに対する罰と責任を、子供ながらに身を持ってそこで体験させたかったのかも知れない。父は一言も口を聞かずに車を走らせた。僕を咎める言葉も、そして慰めも、一切口に出さなかった事を今でも覚えている。

『あの時は悪かったね…』

ビールで頬を赤くした先生は、少し気まずそうにそう言った。

そこには、いつも守備をサボり、コンタクトプレーを避けるひ弱な僕を、猛り狂った鬼のような形相でどやしつけていた、あの若々しさはすでになかった。ただ微笑んで、無邪気に過去を懐かしむ、ひとりの老人のように見えた。

『Oを、O君をネ、試合に出してあげたかったんだよな。しんちゃんよりも先にサッカー始めて、一度も試合に出られなかったOを…一回だけ使ってやりたかったんだよな…』

下膨れのO君の顔が鮮やかに蘇って来て、僕は居たたまれない気持ちで先生のコップにビールを注いでいた。先生がそんなふうに考えていた事、そしてその事を未だに覚えていた事、またあの頃散々に怒鳴り散らしていたデキの悪い教え子の僕に、今こうして同じ目線で語り、そして謝罪までしてくれている事…に、僕は本当に居たたまれない思い…を感じていた。その頃の僕のコンプレックスを、全てに姉と比較され、そうされる事で少しずつ歪んでいった僕の弱い心を、近所に住み公私共に見守っていてくれた先生は全て知っていたのだ。だからこそまた、僕に対して、いつもあんなにも厳しかったのだ…と今にして思う。

僕の父は地域の野球チームの監督をしていたが、先生は長らくそのチームの補欠だった。以前父から一度尋ねられた事がある。

『あの先生は、サッカー“は”できるのか?』…と。
僕はこう答えた。
『できない。サイドキックしか教えてもらってない』

先生は朝一番に練習場に来て、一番重いバットを持ってピュンピュンと素振りをしているのだと聞いた。そして代打で一打席立たせてもらえれば良い方で、ほとんどは一度もバットを振る機会さえ与えられず帰って行き、そしてまた次の試合では誰よりも早くグランドに現われ、ピュンピュンと素振りを繰り返すのだと言う。
ボールには当らないが、素振りの“音”だけはたいしたものだ…とよく父は言っていた。そして『良い先生だ…』と、父は言っていた。

連れ合いの飲み友達を放って置いて、楽しそうに昔の少年団の時の思い出話を語る先生に合いの手を打ちながら、当時の父との会話を思い返して、胸が熱くなった。

『うまい酒だなぁ。嬉しいな…』。そう言いながら、結局酔いつぶれるまで語り続けた先生は、帰り際に僕にこう尋ねた。

『しんちゃんは今でもサッカーは好きか?』

『はい、好きです。今でもサッカーが一番好きです』

僕が答えると、先生は顔をくしゃくしゃにして、『俺はそれが一番嬉しい…。一緒にサッカーやってきて良かった』とニッコリと微笑んで手を振ってくれた…。子供のように、無邪気な笑顔だった。


11歳の頃、M先生と最後に別れた日の事を僕は今でも覚えている。少年団に行かなくなって数ヵ月後、チームメイトを通した再三の練習参加への誘いにも応じなかった僕を、先生が自宅に訪ねてくれた時の事を…。

『ユニフォーム返してくれるかな…』

僕はあわてて背番号9のユニフォームを手に取り、階段をドタドタと駆け下りて洗いざらしのそれを先生に手渡した。

『…すみませんでした』
お互いに気まずそうな空気の中で、何について言ったのかは自分でも判然としないが、僕がそう言った途端、先生がニヤリと笑ってくれたことを今でも覚えている。

指導者としての大きな実績も無く、きっと先生はそのキャリアを終えられた事と思うが、今僕がこんなにもサッカーを好きで居られるのは、その先生と出会い、そして交わしあったサッカーの思い出…があったからだと思う。

スーパースターには結局成れず仕舞いだった…。けれどももし叶うならば、僕は彼のようなやさしいニンゲンになりたい。


何事も無かったように、そしてここから何か新しいゲームでも始まるかのように、最後に先生は笑顔でこう言ってくれた…。

『ドカベンの新しいヤツ買い揃えたぞっ。今度ウチに見に来いなっ!』



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薬害肝炎問題と政治決断

2007/12/21 01:07
30年間、危険な血液製剤を販売・認可し続け、その危険性と有効性への疑義からアメリカで承認が取り消されてからも、さらに十数年ものあいだそ知らぬふりでその殺人行為を継続し続けてきた官・業馴れ合いの狂気…。

現実にこの製剤により感染されたと見られる1万人を超す被害者のうち、その製剤の自らへの投与を証明することができ、現在原告団に加わっているとされる方々は僅か200名足らず…。残りの多くの被害者の方々は泣き寝入りのまま、或いは自らでその因果関係を認知すらする事無く、ある人は既に命を落とし、またある人々は必要な治療さえ受けられず、重篤な肝機能障害に見舞われる苦悶の中で、罪無き尊い命を日々すり減らしている。

この血液製剤による感染以外にも、ほとんどのC型肝炎ウィルス感染は、刺青や覚せい剤注射に起因するものを除外すれば、集団予防接種や輸血などによる感染であり、これはすべて医療行政の過失に起因するものであって、その感染者本人に何ら落ち度の無いものである。今この国の政治に求められているものは、今回の訴訟原告団の救済のみならず、C型肝炎感染者すべてへの医療負担への補助である。勿論そこで使われるのは、原因となった厚生官僚の退職金や財産…ではなく、国民の血税…であったとしてもである。

一年に必要とされるインターフェロン治療の自己負担額(3割負担)は約80万円という。
そしてそのインターフェロン治療を必要とする患者数は全国に60万人といわれる。

総額4800億円の負担である。

それにより1/2の患者が肝癌の発生を免れるという。それでも1/2である…。厳しい世間の偏見や誤解、そしてさらに厳しい副作用と格闘しながら、やっと半数の無実の者が、なんとか命だけは救済される…為のコストである。

人の命より大切な道路はあるだろうか?
人の生きる希望やその権利より優先される国家事業や独立行政法人事業などあるだろうか?

この謂れの無い災厄に見舞われた人達に対して、今でき得る事を速やかに実行し、その命の救済のために最善を尽くす…それ以上に優先される国家の仕事など一つも無い。道路特定財源が生命救済財源に優先する筈など絶対に無い。

そしてそれとともに、当事者たる厚生官僚に対する徹底的な責任追及と、二度と同じ過ちをさせない、許さないシステムが、厳しい罰則の下に、ここで再構築されなければならない。その為のアクションを、国会は何にも優先して、今、行うべきである。

道路も、新幹線も、洋上給油も、基地移転も、独立行政法人改革も、予算も、解散も、選挙も、支持率も、そしてUFOも…国民の命に勝るものではない。

この国の政治家たちは、本当にそれを理解しているだろうか…


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ぐるぐる

2007/12/18 08:55
僕の知っている男がいる。

もう長い間眠ったままの彼は、口を開くことも、くしゃみをすることも、まばたきすることも、くるりを口ずさむことも、空メールを送ることも、深夜バスに乗ることも、一発レッドをもらうことも、開始5分で足がつることも、池ふくろうで待ち合わせすることも、そして大好きな嫁に『ありがとう』を伝えることもないが、毎分86の強い鼓動で、今も夢の世界を泳いでいる。

僕が不眠不休の軽薄な12月をのたうちまわっているその横で、

脳出血も、京都議定書も、アフィリエイトも、表参道ヒルズも、援助交際も、イージス艦も、公定歩合も、UEFAカップも、誰でも割りも、ポアンカレ予想も、パロマ・ピカソ36回払いも、何もない世界で、彼は生き続けている。


この12月に、胸がつまっていっぱいになったから、電波の悪い場所に居る彼に、彼の知らないこの曲が届けば良い…と思う。

この12月に、彼のような愛しい人…を見守り続ける数千、数万のやさしい人たちの心に、みんなの知らないこの曲が、届けば良い…と思う。


ぐるぐる/野狐禅



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第4法 是非2票選挙法 (新テロ特措法否決、解散総選挙を控えて…)

2007/12/11 22:46
一院からなる国会議員100の定員は、すべて全国区選挙による個人記名投票により選出される。有権者はその投票に際して、是(プラス票)と非(マイナス票)の2票の権利を有し、それぞれ任意の候補者に投票できる。
当選者は原則として上位100名が選出されるが、是(プラス)得票数が5万票に満たない者は、これを除外し、その下位の者を繰り上げて当選者とする。


〜解説〜

政党政治が民主主義の根幹でなければならない理由はどこにも無い。
選挙後の事後的な政策グループの形成は否定されるものではないと思うが、そもそも先に“政党ありき”の選挙で、有権者が苦渋の二者択一を迫られるこの現状に、何ら必然性などない。
有権者個人の意志は、どちらか2つの政党の性格にきれいに収まるものではない。全国に数多いる候補者の中から、自身の価値観に合致したマニフェストを掲げる候補者を一人選べば良い。そしてその投票数にこそ、有権者の“本当の民意”が如実に反映されるものであると考える。

またある特定の団体や組織の利権、既得権益を背負って政界進出を図る候補者に対しては、国民一人一人が個人の意志を持って『NO!』を突きつける権利も当然あってしかるべきものと考える。国家国民の利益を蔑ろにして、一部特定団体の為に権力を牛耳ろうとする候補者は、これを国会議員として認めない…という選挙方法の再構築が不可欠である。

ただしまったく無名の候補者がたった数票の投票で当選する事は避けなくてはならず、最低限5万票程度の支持は必須であるものと考える。



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わらの首輪と名前の無い犬

2007/11/14 02:37
中一の夏休みの出来事である。
ある日午後の部活から帰ると、自宅裏庭の軒先の下に汚らしい一匹の犬が、みすぼらしいわらの首輪で繋がれていた。その体毛は油で汚れ、皮膚病か何かのために目の周りはパンダのように毛が抜けていた。そしてか細い手足に比べ、おなかの周りだけがビール樽のように丸々と太っている。お世辞にも端整とはいえない面立ちのその犬は、突然目の前に現われた僕に臆病にしっぽを振っていた。

その犬は祖母(母方)の妹、とっこのおばちゃんの飼い犬であるという。そのとっこのおばちゃんが昨晩脳梗塞で倒れ、僕の母が仕方なく自宅へつれて来たのだと言う。

とっこのおばちゃんと僕は話をした事がなかった。
時々祖母宅を訪れるその姿を見かけたことはあるものの、その白髪交じりのやつれた容貌は子供の僕にとっては少しおどろおどろしいものに思えた。また彼女はとても寡黙な人であったし、祖母との間も冷え切ったもので、さほど親密な交流はなかった。
決して他人の悪口を言わない僕の祖母も、とっこのおばちゃんだけは頑なに嫌っていたし、また避けていた。言葉にしなくとも子供心に僕はそれを理解していた。

僕は母から祖母ととっこのおばちゃんとの関係をこっそり聞かされていた。

祖母がまだ幼い頃、祖母の母親は祖母を連れ子としてある家の後妻に入った。その家において、後に祖母の母とその家の家主との子として生まれたのがこのとっこのおばちゃんであった。祖母は十六で嫁に出されるまで、実母や義父から充分な愛情を受けられず、日々ごく潰しや厄介者と呼ばれ、その家で辛い日々を過ごしたという。そして実子であるとっこのおばちゃんとは明らかに異なる扱いを受け、同じ食卓につくことも許されなかったという。また幼いとっこのおばちゃんはそれを鼻にかけ、使用人や召使のように祖母をこき使っていた…ということだった。

祖母たちの暮らした家は、当時の田舎にしては結構な名家だったと聞くが、まもなく没落して家族、姉妹も散り散りに離散した。そして不運にも早くして連れ合いを亡くし、子供も無く、祖母以外に身寄りの無かったとっこのおばちゃんは、僕らの住むその小さな町の河原岸の掘っ立て小屋に一人暮らしていた。今当時を思い返してみても、それは赤貧の極みであったことは想像に難くない。幼くして僕もそれには気づいていた。

『名前は?』
僕が母に問うと、
『ゴン』
と母は答えた。

『嘘だべぇ〜。だってメスだよ…』
僕が言うと母は笑って
『名無しのゴンで良がべぇ』
と答え、そして
『慎ちゃん、ゴンは汚いから触ればダメだよ』
と青筋を立てて念を押すのだった。

その日から僕はゴンに朝晩の餌をやり、水を与えた。僕に会うたびに腹を出して仰向けになり服従を示す彼女の胸や腹をやさしくなでてあげた。そして数日も経たぬうちに実はゴンは妊娠しているらしい事がわかった。乳房は張り、その腹は日に日に大きくなっていった。すでに老齢であるゴンの臨月が間近に迫っている事を知り、母は大きなため息をついた。いつ帰るとも知れない、或いはもう帰ってこないかも知れないとっこのおばちゃんとこのゴンの境遇を思えば、母の悩みやその落胆も無理からぬものだった。母や祖母は保健所に出すかも知れないよ…と僕に脅しをかけた。が、年の割に幼く、まるで子供だった僕は、現実をまったく省みず、無邪気にもゴンの妊娠とまもなく迎えるであろう出産に、目を輝かせて興奮していた。

当時僕の自宅には柴犬のビックというメス犬が家内で一緒に暮らしていた。彼女は自分を人間だと思っていて、人間には誰に対してもたいそう人懐っこかったが、犬や猫に対しては警戒心が強くとても凶暴な一面も持っていた。

ある日の夕方、突然裏庭で大きな犬の怒声が響いた。集金に来た来訪客か誰かが玄関の戸をほんの少し開いたまま立ち去ってしまったのだ。
はっとして裸足で駆け出し、裏庭のゴンの元へ行くと、仰向けに寝転がるゴンの首元に、ビックが激しく噛み付いていた。

僕は怒鳴り声を上げて興奮するビックの首根っこを鷲掴みにしてゴンから引き離した。ゴンはまったく無抵抗に寝転んだままで震えながらその姿を眺めていた。ビックを自宅に放り込み、すぐにゴンの居る場所へ戻ってみると、ゴンはまだ震えたままで仰向けになって腹を見せ、尻尾を振りながら興奮している僕に恭順を示す仕草をしていた。その姿は、まるで僕にすまなそうに謝っているかのようだった。
僕はゴンのおなかや胸をなでながらどこからも血が出ていない事を確認し、心の底からビックの乱暴と自らの不注意を詫びた。ゴンがうちへ来てからすでに半月ぐらいの月日が流れていた。僕の中では、すでにゴンはビックと何ら変わらない大切な存在だった。

その日の夜、僕はビックをきつく叱りつけた後で、少し心配だったゴンの様子を何度も見に行った。最初はいつもと変わらない様子だったが、時間が経つにつれ少し呼吸が荒くなって、苦しげな様子にも見えた。

僕は深夜、隣家に住む母にその事を伝えに言った。ビックに噛まれたところが痛いのかも知れない…苦しいのかも知れない…と。けれども母は、動物病院など隣町まで行かなければないし、第一この時間ではどこも開いてはいない。とにかく明日の朝の様子を見よう。もしかしたら夜のうちに出産があるかも知れない…と不安がる僕をたしなめた。


その夜、僕は深夜遅くまで幾度もゴンの様子を見に行った。ゴンは相変わらず、息苦しそうに横たわっていた。僕が声をかけるとその度に体を少し起こしてしっぽを振っていた。ゴンは痛々しいほど臆病な犬だった。もしかしたら彼女は最期まで、僕におびえていたのかも知れない。

今、時計の針を巻き戻して“あの時”に戻れるのならば、僕は一晩中あの裏庭の軒先の湿ったダンボールの中に身をかがめて、ゴンが息を引き取るまでずっとその胸やお腹をなで続けてあげたいと思う。…が、その時の僕には、それがしてあげられなかった。

翌朝、ゴンはつめたく、固くなってしまっていた。
少し口を開けて舌を出していた。丸かった尻尾がゆるくまっすぐに伸びていた。
そして来たときと同じように、わらでこしらえたみすぼらしい首輪に繋がっていた。
その日わらの首輪だけを残して、彼女はそのまま土に埋められた。そしてしばらくの間思案した母は、その事はとっこのおばちゃんが退院するまで本人には伝えない…と僕に言った。

それから数週間、或いは数ヶ月がたったかも知れない。
夕暮れ時、自宅に戻って宿題を片付けていると、裏庭に人の気配がした。見るととっこのおばちゃんだった。咄嗟に僕は身を隠したような気がする。そして改めてあの日のことを思い出し、良心の呵責に苛まれながら身を隠したままでその姿を眺めていたように思う。

彼女はゴンの居た場所で思案げに少し立ち止まり、ダンボールの中をのぞいたり、エサや水を入れていた皿を触ってみたりした後で、やがてゆっくりと立ち去っていった。手で杖を突き、左足を引きずっていた。その容貌は以前にも増して、さらに生気を感じさせない弱弱しいものだった。

とっこのおばちゃんが立ち去ると、僕は隣家の祖母のもとへ走り事情を聞いた。そこで彼女が今日退院した事、入院費の数十万円を祖母が病院に立て替えさせられた事、そしてゴンの死を今さっき伝えたばかりである事…を聞かされた。

『怒ってなかった?』
恐る恐る僕が聞くと祖母は言った。
『なして?あんなに面倒見てあげたのに…』
『慎ちゃんにありがとう、お世話になりましたって伝えてくれって言われたよ。ありがとうって…』

僕は裏庭に戻り、ゴンのダンボールを眺めた。
横にはみすぼらしいわらの首輪が転がっていた。

きっとゴンはこの首輪に繋がれながら、自分の帰るべき場所をずっと探していたのだ…と思った。
そしてとっこのおばちゃんは、今それを探している。

走り出すととっこのおばちゃんはまだ驚くほど近くに居た。
不自由な左足を引きずるように歩いていた。
声をかける前に涙で前が見えなくなってしまっていた。
振り向いたとっこのおばちゃんに、僕はただ

『ごめんなさい…』
と一言声に出して言うのが精一杯だった。

ビックが殺したんです…僕が殺したんです…。ノド元までそう言いかけて、結局それが言えなかった。そしてわらの首輪だけをその手に差し出した。

とっこのおばちゃんは不自由な左手で静かにそれを受け取ると、穏やかな優しい顔でこちらを眺めていた。そして、
『ありがとうね。お世話になりましたぁ』
と大人にするように丁寧に丁寧に僕に頭を下げた。
ゴンの死については一言も聞かなかった。

そして秋の夕暮れの薄明かりの寂しい道を、不自由な足を引きずりながら、誰も待つ者の居ない河原岸のあばら屋へと向かって歩いていった。


その今にも崩れ落ちてしまいそうなあやうい後姿を、そしてあの日のすまなそうな顔をしたゴンの姿を、僕は二十年以上たった今でも、ずっと忘れる事ができずにいる。あの擦り切れたわらの首輪の感触を、ゴワゴワの体毛と膨らんだまましおれてしまったやわらかい乳房の感触を、僕は今も、忘れる事が出来ずにいる。


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第3法 二院制の廃止 (ねじれ国会の不毛)

2007/11/13 08:33
国会は二院制を廃止し、被選挙権25歳、任期3年、全国区100議席からなる一院制に改正し、経費削減と投票率確保のため、すべての地方選挙も同時に行う。
またその公職選挙法はその当事者たる国会から分離し、国民から選ばれた第三者組織に委ねられ、【国民投票】によって承認される。




〜解説〜

他の先進国と異なり、日本の二院制には現状合理的な意義は無い。
であれば、不要な政治の停滞と混乱を招く現状の二院制を、莫大な支出の下に継続する理由はない。ルソーも言うように民意は1つで良いのだ。

また衆参722人にも及ぶ国会議員。その一年間にかかる国の財政支出は、1人あたり3億円に及ぶという。2166億円もの支出である…。

この中で法案に主体的にかかわる国会議員は果たして何人いるだろうか?陳情の口利きやTV出演、選挙区の挨拶回りに奔走する議員たちに対して、この1人あたま3億円ものコストが、果たして妥当なものと言えるだろうか?

1人の有能な国会議員とそのチームプロジェクトの元に支払われる歳費はたとえ10億であっても構わないが、それ以外の到底その資格を有しないもの達が、知名度や政党の都合によって国家の禄を食む現状は“異常”である。この100の定員には、そのような1人の死に枠も作ってはならない…という意志が込められている。また所属する政党に関わらず、有能なる人材が無役では居られない編成とし、政党間の不毛な対立や党利党略にかまける事を許さない構図としなければならない。

さらに無駄な経費削減と高投票率確保のために、可能な限り地方選挙の投票日を同一日とするべきである。

また、ある地方や限定された地域の権益を守るためだけの国会議員は必要ない。国の利益、広範な国民一人一人の利益を守り、創出してゆくための国会運営が求められる。その為にも地方に分権し得るものは可能な限り分権し、小選挙区制を排して全国区として、国会の場を限定された地域…の権益のためではなく、広く国家国民のための機関として再構築するべきである。

また自らが選ばれる“選挙法”を、被選挙人が如何様にも改ざんし得る今のシステムは著しく不当なものである。公職選挙法は国会から分離するべきものであると考える。


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小沢一郎辞任騒動と日本の未来

2007/11/07 12:31
『辞任の撤回に前向きの動き…』

はじめて聞いた表現である…が、どうやら本日の記者会見で渦中の小沢一郎は続投への意思を表明する流れのようである。まったくこの騒動はいったいなんだったのか…せっかく巡ってきた政権交代の機運に自ら水を差す、幼稚で独りよがりな振る舞いだったように思う。

この人物が、その政策理念や政治的腕力に相応しい人間性と自制心を有していたならば、今のこの日本は、財政的にも国際的にもこのようなどん詰まりの状況を迎えずに済んでいただろう…。それを思うと本当に残念である。

正直に言ってしまえば、僕は自民党支持者でも民主党支持者でもない。
勿論、公明や共産などでも毛頭ない。
それが二大…なのか、脱政党…なのか分からないが、随時政権交代可能な均衡の取れた政治体制…すなわち現状で言えば、ただ盲目的に『政権交代』支持者である。

どんなにキレイな水であろうと、そこに流れがなければやがて腐ってしまう。その為には絶えることのない新しい流れと循環が不可欠なのではないだろうか。

『改革』を謳った小泉純一郎は、本当に改革せねばならぬところには手を触れず、本当に与えなければならなかった痛みを、その当事者ではなく広く庶民にバラ巻き負担させた。名ばかりの改革で“実”を放棄し、この国に巣食う本当に悪質な部分はキレイに温存させた。結局欺かれた者は国民だったのか…或いは彼、小泉純一郎そのものだったのか…僕には分からないが、この『改革偽装』によりこの国が背負った巨大な負の遺産は、後世必ず明らかにされてゆく事だろう。

『年金改革法案』を除けば、僕は民主党の基本政策は『子育て支援』も『農家への個別補償制度』も反対である。

けれどもそれ以上に、戦後60年続いたこの腐敗した政官業の癒着構造にメスを入れることの方が遥かに国民益に叶った合理的な挑戦であると思っている。そしてそれなくして、日本の再生・復興は絶対に有り得ないと考える。


『本当に変わらなければならないのは、政治ではなく国民である』

国民が変われば、政治は必ず変わるものと僕は信じている。
国民が変われば、日本は必ず変われるものと僕は信じている。

僕のような選挙民にとって『民主党』という選択は、他に選択肢の無い唯一無二の選択である。たとえ明日命を失おうと、消費税20%を突きつけられようとも、僕個人のその意志は変わらないだろう。増税論議は、行政の無駄遣いを徹底的に排して、財政再建に道筋をつける手段であるならば、一刻も早く議論すべき国家の主題であるべきだと思っている。ただしそれを、自民党自身がやってくれる…などというお気楽な妄想はもういい加減に捨てるべきだ。

そして自民とも必要な政策協議はどんどんやれば良いし、僕自身はそれが一時的に連立の形を取るとしても、マニフェストに反しない部分で強調してゆける部分はしてゆけばいいと考えている。ただし、大前提が“政権交代”であることに迷いがあってはならないし、そこに個人の見栄や意地という感情論が入り込む余地など1ミリたりとも存在しない。

僕自身はここで小沢一郎には身を引いてもらいたいと思うが、これを“恥”とし、それでもなお代表の座に踏みとどまるのであれば、ここで党員、選挙民に頭を下げ詫びて、次期総選挙の勝利を誓って欲しい。

そして今回裏で暗躍したメディア界の黒幕や、事の経緯については公の場でキッチリと説明すべきである。ここでそれを詳らかに明かす事こそが、国民、選挙民に対する、この期に及んで唯一可能な、たった一つの罪滅ぼしなのではないだろうか?


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第2法 公務員厳罰法 (守屋前防衛次官の接待ゴルフに思う…)

2007/10/20 09:34

すべての国家・地方公務員の背任・横領、そして倫理規定に反する違反行為は、国家国民に対する罪として時効なく無限に責任を追及し、その罪状に応じて全財産の没収や退職金の失効、給与の返還などを強制することができる。

@ その給与は、厳格で透明性のある能率給制度によって定められ、終身雇用の原則の下に、すべての“天下り”を禁ずる。

A 労働対価の透明性を高めるために、福利厚生については極力これを廃止する。



〜解説〜
公務員の使命は、何よりもまず国民・市民利益の実現であり、自らがその為の職務を担う者であることを忘れてはならない。特に中央官庁の重責につく者の、省利省略を企図した振る舞いや、自己の私腹を肥やすようなその職責への背任行為に対しては、国家や国民一人一人に対する加害行為として、厳罰に処さなければならない。

“年金問題”における与党・社保庁の狂態を見ていても、一体この犯罪行為の“責任”を負わされるのは誰なのだろうか…? 全て国民ではないだろうか。
犯罪行為を犯したものや、当然その監督責任をとらなければならない者たちが、何食わぬ顔で甘い汁を吸い続け、その被害者たる国民が無限にその罪悪に対する代償を請求される。誰が悪かったのか、或いはそこにどれだけの犯罪行為と犯罪者が介在していたのか…僕ら国民にはそれさえ分からない…。その名前も、顔さえも永遠に分からない。

優秀な公務員の給料が民間より高い事は構わない。
ただし、それはあくまで“優秀な”公務員のみであって欲しい。
そして彼らは、広く民間や市民オンブズマンに開かれた透明性の中で、その職責に見合った労働対価を受領し、職務を果たしていくべきである。その為にも不透明な“手当て”やその他の付随する利益を徹底的に廃し、給与に一元化して支給されるべきである。

また公務員の“違反行為”に関しては、経済的に無限にその代償を追及するべきである。その為には本人名義の財産のみに止まらず、そこから派生したであろう、配偶者やその子孫の名義財産に関しても、最後まで追求すべきだろう。

本来、公務員と国民・市民との間には、確かな信頼と互いへの感謝の念がその根底に在るべきものではないだろうか。

多くの公務員が、真面目にその当たり前の職務を果たしているにも関わらず、一握りのそれらの犯罪行為によって、泥棒か何かのような目で見られる。巨悪が貪るだけ貪り知らぬ顔で高鼾をかく横で、罪の無い真面目な公務員と市民がその割を食い、互いが互いを憎しみ合わなければならない状況…。

これを野放しにしてきた与党、国会議員の責任は非常に重い。



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第1法 刑罰の財産刑化法

2007/10/13 08:56
すべての刑罰は、その罪状に応じて財産没収と労役による財産刑とする。

また釈放にあたっては、財産刑の完済と社会復帰への試験に合格すること、さらに当人の将来の犯罪行為すべてに責任を負う保護責任者の指定が条件となる。


@ 被害者や被害状況の原状回復、治安維持にかかる費用の負担、未検挙犯罪による被害者および遺族への見舞金基金、そしてかかる労役所の留置費用に至るまで、そのすべてを完済させることを刑罰の第一目的とする。*肉親・第三者による弁済も可。

A また釈放に関しては、釈放後の当人の保護観察に責任(経済的無限責任)を負う保護責任者の存在が必要となる。重犯罪行為者においてこれを指定できない者は、釈放することはできないし、また重犯罪行為者のいかなる再犯も自動的に終身の財産刑とする。
そしてすべての再犯はその刑罰を倍に処する。

B 服役中この労役を拒否したり、自らにかかる留置費用さえその労役から生産できない状態になった服役者については、後に定める“献体法”においてこれを処する。



〜解説〜

この100法の最大の目的は“犯罪抑止”である。

善良な市民のささやかな幸福やその生活を、無法者の手によって好き勝手に破壊される世の中であってはならないし、そのために一人の犠牲者も出さないことを最終的な目的とする。

事後の応報による被害者の感情的修復や、見せしめ、加害者の更正などは、決して“犯罪抑止”に優先する事柄ではない…と考える。

“厳罰化”が犯罪抑止に効果がない…とは、ある方面から度々叫ばれる主張だが、本当にそうなのだろうか?ある国のある時代のある統計を抜き出してみても、それが現在のこの国に対する、実証にたるデータである保証などどこにもない。再犯率を考えれば、犯罪行為者の刑期が延びれば、物理的にそれだけ社会のリスクを減じる事は間違いない。であれば“厳罰化”に期待したいし、それが“犯罪抑止”のために最も合理的な最初の手立てであるべきだと考える。

極論を言えば、この世に犯罪者がいなくなれば、公安維持の費用は必要ない。
であれば公安維持費用は、主に善良なる無実の市民の負担するものではなく、犯罪者とその保護者が負担すべきものである。加害者の留置、教育、更正のために、それに殺され、強姦され、傷を負わされた被害者やその遺族の税金が使われる…。犯罪者に殺され、強姦され、傷を負わされた被害者の税金で、また釈放された犯罪者の再犯行為を取り締まるための費用が捻出される…。前科○犯もの犯罪者が世に放たれ、また誰かが犠牲にならねばならない世の中。これほど被害者、一般市民の立場を軽んじ、その家族や遺族の感情を逆なでする法が許されるだろうか?

ただ刑期を定め、それを罰とし更正を促すだけの刑罰は合理的ではない。

彼ら自身の財産と苛酷な労役により、かかる社会的コストは命を賭けて支払われなければならない。その為には単純労働ばかりではなく、その罪状から必要であれば医薬品会社などによる新薬の治験などへの貢献も拒む権利はないだろう。大きな事件の主犯者であればそれを著することによる印税収入も期待できるだろう。生産性を高める方向に刑罰の目的を向ける事で、抑止力としての社会基盤(防犯カメラの設置や犯罪者ICチップ移植など)を増強していかなければならないし、彼らのその“反省”を経済的に社会に還元できないのであれば留置しておく意味はない。

誤解がないように断っておきたいが、僕は犯罪者を憎しみたいのではない。
このセカイ、そしてニッポンにこのような悲劇を繰り返したくないのだ。

これ以上の被害者を生みたくないのと同様、これ以上の加害者もこの世に作りたくない。刑法の厳罰化を進めると共に、今後子供達に向けた教育機会の均等化への働きかけと、社会福祉の充実化への草案もここで論じてゆきたい。



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キリタニ100法 〜前文〜

2007/10/06 13:35
ニホン人は、優しくなければならない。

その優しさによって、自らと他者とを、相互に幸福な潤いのある関係へ導かねばならないし、またその環境を保たねばならない。

優しさとは、理解である。
優しさとは、自由の尊重である。
そして優しさとは、利己の放棄であり、
優しさとは、友好、平和への決意である。

そしてその優しさは、厳しく自らを律する心と表裏のものである。自らの欲求や幸福のために、他者の犠牲や苦痛を省みない身勝手を、自らに許さないという信念である。

この100法は、上記の原理に基づく、人と人、国民と国家、市民と法との約束である。



@ 一個の善良なる市民の小さな幸福と人権を守るために、百個の犯罪者の人権を排除することを厭わない。

国家、そして法の目的は、善良なる市民の自由と権利、法における平等の地平の上に築かれた幸福とその利益を守ることである。
その人権と生命権を脅かす圧迫や暴力、脅迫や差別をこの国から排除し、平和の礎の上に築かれる、幸福なる共存・共生の新たな実存的ユートピアの実現を目的とする。


A ニッポンはめまぐるしく変化する世界情勢において、国連(UN)の意志に順じない軍事的行動に加担しない。そして軍事的中立を永遠のものとして遵守するためにも、必要な軍事力については徹底したシビリアンコントロールの下にこれを保持する。

ニッポンは国際社会の平和と安定のため、紛争する国や民族の相互理解と和解のために主体的に努力し、世界平和への取組みに全力を尽くす。





〜追記〜

誤解されては困るのだが、これは市井に生きる一市民の、この国の現状に対する危惧であり、その未来に対する儚い“願い”である。
法理学についてはまったくのズブの素人であるし、その実現を企図するものでも、読者の扇動を促すものでも決して無いことをまずご理解ください。

なぜこのような企画で情報を発信してみたいと考えたかというと、僕自身の倫理観とこの国の実社会における現状との間に、著しい“隔たり”を感じているからです。
そしてそれは日々募り、増幅し、もはや修復不能なまでに“乖離”してしまっている。

ドロボウや犯罪者たちが“やったもん勝ち”の世の中。

この十数年、犯罪数が飛躍的に増えてきた中での著しい検挙率の低下と成人再犯率約50%(2003年調べ)を超える状況。しかもその再犯の中には、殺人や強姦などの凶悪犯罪を犯すものが約40%に至るという現実。
これで現行の刑法が国民の財産や生存権・生活権を守るために寄与していると言えるだろうか?

『美しい日本』でなくとも、『とてつもない日本』でなくとも、僕は国際社会におけるこの国と、すべてのニホン国民が無法者の暴力や脅迫から守られ、安全に生活してゆける当たり前の国ニッポン、そして優しいニホン人であって欲しいと心から切に願う。

至って無力ながらも、その為に“おかしい”と思うことを“おかしい”と…愚痴り、“かくあるべき”であると思うことを“かくあるべき”であると…小声でささやく場所が欲しかった…。


よって…2007年10月6日、ここに100の立案からなる【キリタニ100法】の草案を公開してゆくことを宣言いたします。



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象のように死にたい…

2007/10/02 16:16
『肺に水がたまっているように見えますね…』

唐突にそう言われ言葉を失ってしまった。
『この右の肺の下の部分が丸くなっているでしょう。白くモヤがかかっているようにも見えますし、これは少し水が溜まっているように見えますねぇ…』
医学の知識など持たないが、“肺に水がたまる”という状況が人間の体にとってどのような事態であるのかは理解できる。

『他の数値や結果が出てから精密検査しましょう』

医師の判断はこの人間ドックによる検査結果が全て出揃ってから次の精密検査に移りましょう…というのものであった。こちらも精密検査や入院ということになれば、仕事や生活面においていろいろと準備を整えなければならないこともあるので、その日は処方された抗コレステロール剤の薬を一か月分受け取り、その場を後にした。


その日の夜から、僕は“肺に水がたまる”という状況をネットでいろいろと調べてみた。そうしてその状況が、予想通り決定的に“おもわしくない”状況であることをまざまざと思い知らされた…。

結核ならば逃げ道はある…が調べれば調べるほど、その症状から僕が結核では無いことは明白だった。では同じく問題のある数値が示されていた肝臓から“肺に水”の状況を探ってみると、それは内臓に広く転移してしまったガンか、或いはすでに著しく症状の進んでしまった肝硬変の2つの可能性に行き着いてしまう。

どちらにせよ逃げ道は見つからないのだった。



子供のころ、僕は動物図鑑が大好きだった。

陸上で一番速いのがチーターで110km。二番目がブロングホーン。三番目がガゼルで時速約80km。はじめて100m10秒を切った人間ジム・ハインズは時速36km。約40kmで走るアフリカ象よりも遅いのである。
そして一番長寿なのがゾウガメで170才。次が象で100才。約80才の人間はここでも象に勝てないのだ。

その象は、自身の死期が近づくと、群れから一頭離れ死に場所を探すという。たいていの場合は定まった洞窟のような場所に身を潜めて、そこで自らの息が絶えるのをじっと待つのだという…。


もし自分自身が末期のガンであるとするならば、“死”そのものを受け入れることはさほど難しいことではないような気が僕にはした。
しかし、肺に水がたまり溺死のような苦しみに苛まれながら死んでゆくとするならば、それに立ち向かうだけの勇気や気力は持ち合わせていない。
そこで自分自身がこれまで培ってきたもの、家族との間に築いてきた関係が、病苦や闘病への恐怖や苛立ちの為に“破壊”されてゆくこと、この最後の1シーンの為にそれまでの楽しかった思い出すべてが無意味なものに打ち消されてしまうことだけはどうしても避けたい…と考えた。

だから、もしこれが医学的に逃げ場の無い最終状況であることが確認され、本格的な病苦の訪れがまもなくに迫っているのだとすれば、僕は家族にこれまでの感謝と別れを告げて、ずっと行ってみたいと思っていたインドかネパールの奥地に一人旅立ち、オーバードースか何かでひとおもいに死んでしまいたいと思った。

そしてこれまでもずっと考えてきたように、死んだら鳥の餌になりたい。

これまで僕がさまざまな動物の命を奪って生きてきたように、僕も僕の命を“これから”を生きて行く動物たちの為に少しでも役立てたい。
その為にも鳥葬の風習が未だ残るインドやネパール、或いはチベットにまで流れて、そこで最後を迎えたいと考えた。


僕は単純な人間なのでそこまで覚悟を決めると、気持ちも幾分落ち着き少し楽になった。“肺に水がたまっているようだ”と言われてからの数日間は食欲も無く、眠ることもできず、何もする気が起きずに、ただただネットで自身の病状を推察し、人との接触を避けてきたが、自分の中でそう方針が定まってしまうと、途端にお腹がすき、睡魔に襲われ、そうしてできるだけ“生きる”為の努力をしてみよう…という気になってきたのだった。


そしてそう思い立った翌日の朝、呼吸器内科の専門医がいる総合病院で検査を受けた。すると…

『子供の頃肺炎か何かで起こした小さな癒着は認められますが、水はありませんよ。大丈夫ですよ』…と言われた。



わりあいに繊細だった青春時代、“死にたい”と思ったことは何度かあったが、実際に“死のう”と思ったことなど一度もなかった。要するに実際に自分自身の“死”を意識させられたのは今回が初めてのことだった。
狼狽もしたし、少しばかりの憤りを感じながらも、いずれ来るその時…に対して、心の準備をするよい機会が与えられたのかもしれない…とでも考えることにしようと今は思っている。



人間による自然破壊、旱魃や森林の伐採を起因とする食物不足によって、真っ先に死んでゆくのがアフリカのサバンナにおいては象であるという。

その象は一日に150kgもの植物を食べるが、実際に消化するのは非効率にもその半分程度で、そのお腹に消化されずに残された植物はやがて排出され小動物や昆虫の為の餌となり、またその中の木々や草花の種は、象の足によって100km、200km離れた大地のどこかで芽吹き、新たな命を育んでゆくのだという。

そして100年の時を生き切ることなく、その寿命の道半ばにして唐突に命を失ってしまった仲間に対して、彼らはその象牙だけを取り外して遠くの森にそれを隠し、人間と同じように何度もその場所を訪れるのだという…。


人は象のように奥ゆかしく生き、また象のように荘厳に死を受け入れられるだろうか…?

あと何年生きられるか判らないが、象のように奥ゆかしく生きてこれなかった僕は、いまわの際だけでも、せめて象のように荘厳で…心穏やかでありたいと思っている。



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